前年12月:酔狂な話

消費税は是か非かという話が起きて、 お金持ちはそれが公平だと言う、貧乏人は不公平だと言う、その意見の対立は立場の違いから起きているのだと言われる人がいる。

「人の意見には立場に依存している場合がある。」という考え方は間違いではないと思う。私も同意できる。

しかし、上の事についてはそこで発想が止まっているのではないかとも思う。

例えば、 歴史において奴隷制度は肯定されていたが今は否定されている。穢多非人なども否定される。 もしそれがあったとすると、そこには支配する側の意見と支配される側の意見がある事になる。 (これは強い立場と弱い立場を端的に表している。) 支配側は奴隷制度を肯定して、被支配側は奴隷制度を否定している。 その時、考え方は立場によって違うからとしてしまうと、力の行き場がなくなってしまう気がする。

だが、現代の人々は奴隷制度を否定する、その根拠は歴史的経緯になるのだろうか、自由平等の理念を正義として掲げている。

政治の場では我々の社会のためになる事を論じられている。 今現在であれば基本的人権と自由と平等の理念のもとに何が社会にとって正義たり得るかと言う事が論じられる。 そこで、如何に効率的で合理的なアイデアがあったとしても、自由と平等に反するアイデアであれば人々はそれを容認しないだろう。 奴隷制度も否定するだろう。 (形を変えてそれを容認する流れがあるのも無視はできないのかもしれない?それは、また別の話。)

人々が社会のために考えて出したい答えは、 今と未来の人々のためにどうしたら良いかであって、

だから我々は共通の理念である自由平等のもとに、その立場を超えて、より良い現実的な答えを出そうとしているのではないか 立場によって意見が違うことはあるけど、それは別軸の話であると思う。 立場にとらわれない答えを出すために話しあいたい。

僕がそういうことを考えているから、上の事について「それは立場によって意見が違うだけなんだよ」とそういう言われ方をしてしまうと首肯は出来ない。

人はなぜ、自分と違う物事に対して上から目線になるのか。 他人を見る時に、他人がやらない事とできない事を混同している人が多いのではないかとは思う。 または、言い方がそうなってしまうだけと言う事も大いにある。熱くなるとそう言う配慮ができなくなる場合もあるからね。

なんつってな


PS. 無関心になれるのは利己的なのか自由至上主義的すぎるのかなとかなんとなく思ったけど、なんとも