キング・オブ・コメディ

ジョーカータクシードライバーキングオブコメディと見てきたら、恐ろしくなってきた。 いかようにも解釈できるというのは案外恐ろしいもので不安になってきますね。

ルパート・パプキンは、コメディアンになるために、それと好きな女性を口説くために無茶苦茶な行動と嘘を重ねていく。

類まれな行動力でアポを取り付け、ネタを持ち込み、突き返されても本人の意見しか信じないと頑なに、
最後は芸能人を誘拐までして自分のネタをTV放送させてしまう。
TV出演までこぎつけて一夜限りのコメディ王になったというわけだ。
その行動の描かれ方がコメディっぽくもあるが、見る人によっては一笑に付されていそう。

その時放送された内容が実際に面白いのか面白く無いのかはネイティブにしか分からないだろうからなんとも言えない。
日本のお笑い芸が外国で受けないのと同様に。
放送を見た女性、刑事、バーのお客さんの反応を見るとそれほど面白そうではない。
刑事のセリフからすると面白くなかったようにも取れるが刑事個人の意見だとも言えるのでわからない。
世間では実際に面白いと思われたと設定してもよいのが映画である。 実際に映された放送内容も現実ではなく幻想だと見る人がいるのも頷ける。

さらにエピローグがあってびっくりですよ奥さん。 誘拐して脅迫して達成したTV出演が話題になって、獄中で自伝を書き出版権が高値で売れて、改めてTV業界に入る所が描かれる。

だがしかし、このエピローグが映画に不穏な気配を更に醸し出す。
一夜限りのキングになってそのまま捕まって終わりなら、分かりやすいものだが。 その後の成功が現実か嘘かを断定できない、 作中ではそれまでもルパートの幻想を現実のように描いているので、同様にこれが現実か幻想のいずれだとしても否定できない。 かと言って明確な証左が作中に描かれているならともかく、それが無い以上は現実と幻想のどちらでもありうる状態なわけだ。

一見した時は、犯罪までして最後には大成功を収めるというよりは獄中でルパートが妄想している世界とした方が実際にありそうな表現だと思った。
しかし、それは結局映画を見た一個人の見方であるに過ぎない。
事実は小説より奇なりといい映画はフィクションである、映画の中でルパートが最後に成功を収めるキングオブコメディになっても良い。
実はルパートの愛嬌があって観客がそれを許してしまうなら肯定もされる。
現実か幻想を示唆しつつ、そこに明確な答えが無い以上解釈は自由というか何も断定できない、 現実とするのも幻想とするのも観客の思い込みだけが存在しているに過ぎない。

僕はこのエピローグが幻想だろうと思いつつも現実味を感じた部分もあって、
それは出所後TV出演するルパートが何度か名前を紹介されながら何も喋らず笑顔のまま手を振ったり不気味な間が描かれた事で、
結局話題性でテレビに出ても芸人として成功できない現実が描かれたようにも見えた。等身大のルパート・パプキンが浮き彫りになったかのような。

ジョーカーとの類似点がある。 ルパートが晴れの舞台で見せたのは自虐ネタなのだが(それがルパート自身のものかどうかはわからないが)、 ジョーカーがコメディクラブの小屋で見せたのも自虐ネタだったこちらはジョーカー自身のものだと作中からも見て取れる。 とりあえず抑圧された人生の虚しさを感じた。

ジョーカーのこと

久しぶりにゾゾっと面白かったです。

最初に見終わってから考えるほど、 アーサーがジョーカーになるという動機には疑問が出てくるばかりでした。
単に、人生行き詰まって追い詰められて孤独で、その経緯から大きな悪者になる動機はとことん弱いと思えた。

主人公のアーサーはどんな人だったか。
アーサーは、ピエロの仕事をしながら薄給で年老いた母との二人暮らしを維持している。
脳の障害のため突然笑い出す発作がある。
流行りの精神病でカウンセリングを受けている。
貧困。
そんな環境下にありながらも、母に優しく接して、健気に働いて、コメディアンになる夢を追いかけていれば、
バスの中で子供を笑わせようともする。 純粋で心優しい人に見えなくもない。
でもそれは違うと思った。

富裕層と貧困層との対立みたいな雰囲気は出されてるんだけど、アーサーは最初は無関心のようだし。
結局アーサー自身は貧困にあえいでいるだけで、特に富裕層を妬んだりも比較して己を卑下しているわけでもなさそうな。 そもそも富裕層と関わっていないので。

映画の紹介コピーで後から気になったのが、
「純粋で心優しいアーサーが悪のカリスマに」というのがまた嘘で、
そもそも「純粋で心優しい」というコピーがどこから出てきたのか。
純粋で心優しいのであれば、 必要ないと断りながら渡された銃を持ち歩き続けるのも変だったし、 そもそも積極的に誰かに優しくしている姿は無さそうな気がする。
 母親に優しかったり、バスで子供を笑わせたり、普通のおっさんの感じです。
特に、家の中で銃を構えて遊んでいるシーン、母親がいつも座ってる椅子に向かって何度も構える、このシーン見たらもう腹に一物抱えているのは瞭然なわけで...。
いつも優しくしてあげてる姿はあれど、意識の中にはそんな単純では無いものがあるんですね。
こういうシーンはぞくぞくしますね。
また、電車で暴行してきたサラリーマンを銃で殺してしまったのも最初の一人、二人目だけなら事故だったとも見えるが、
生き残りを追いかけて撃ち倒した後に残弾全て打ち込むという描き方はしないでしょう。
純粋とか心優しいとかそれは誰にでもある部分であって、この映画ではそんなのはポイントじゃ無い。
確かにアーサーは腹に一物抱えていて、純粋とは言え無いでしょう?

その境遇は、貧困で友達もなく母親との暮らし。
もしかしたら孤独を感じていてだからこそ脳内彼女
ストリートチルドレンには袋叩きにされて何もできない。
仕事先の同僚に貰った銃のせいでクビにされ、
カウンセリングと薬を貰っていた福祉は財政的理由で打ち切られ、
コメディアンにもなれないばかりか、
尊敬していたTV司会者にバカにされたり痛いところを抉られて、
サラリーマンを殺しているから後戻りできない心理とか
ことごとく追い詰められていくので、それはもうそこまで叩かれて裏切られたら正気ではいられないだろうと思ってもいいけど、
「悪のカリスマ」にはならないよなぁとも思った。

でも、もっと別な視点があるのね。
社会を混乱に陥れる、人々を悪に誘う、そのことに動機があって喜びを感じているのかちゃんと線が繋がってるのかまだ疑問。 父親の喪失は、司会者のマーレイ、トーマス・ウェインのそれぞれから否定された事はあるかもしれないが、 ウェインからの否定はバットマンへの憎しみという部分につなげる物かもしれない。

脳内彼女については滝本きゅんの超人計画が詳しい。

脳内彼女だったというところから伺えるのは、アーサーの視点には現実では無い嘘が混じっているという事でもある。 なのでアーサー主観のパートは嘘が混じってると解釈されても否定できないので益々めんどくさい映画になっているぞ。

その他、
アーサーの笑いが、あれが脳の障害で笑ってるんじゃ無いとわかる人はすごいなぁ。 アーサーは自分を知り本心から笑えるようになった、自分のやりたい事を知った、アーサーにとってはハッピーエンドなら、 ここでアンパンマンのマーチをかけてもいいかもしれない。

タクシードライバーで言っていたこの街をゴミを洗い流してくれと、ジョーカーの気持ちは少し同じで少し違う。

最初に涙を流している意味は映画を見返して確認したいところ。

喜劇と悲劇の境界線についてもっと考えないといけないなと思う。 喜劇だと言われるところがよくわからぬ。=>キングオブコメディを見よう

アメリカの一部では上映に伴って警備が強化されたとか、『ダークナイトライジング』上映で銃撃事件があったこと、アメリカでの肌感はよくわからないが、 作品が毒を持っていて感化させられる人がいるのも当然だけど、これまでそれによって実際の破壊行動に至るのは極少数なのであって、、、 いや、それは許される作品と許されない作品はある、社会の道徳に反するものは上映されないだろう。 考えれば特に問題が起こることもないだろうし、ジョーカーはその辺ちゃんと常識的な範囲で描かれてるから上映が許されてるのだろう。 日本ではそのような反応は起きていない何故か?映画に感化されて暴力を振るう奴なんていない? *1

*1:このことは音楽は国境を越えられても「映画は国境を越えられない」と言うことを体現している例だと思う。

コンゴと日本

1945年、日本に落とされた原爆の原料となったウランがコンゴで採掘された物という繋がりがあってなるほど。 そのコンゴは今、鉱山関係の問題を抱えているらしいが?

蛙飛び現象と言われる片や一方では同じ間違いを繰り返す。 過去に別な地域であった公害問題や労働問題の知見を世界規模で共有して予防できないのか、とか

何とかならんかと思ってもなんともならん、

なんともならん

テラバトルの記録「39章」

もうすでに昨年の事だがアップデートでこれまでのイベントクエストが常時公開状態にもなったが
なによりもストーリーに39章~が追加されていた事が嬉しかった。

ストーリー最初の目的は、冒険者達が世界の崩壊を止めるため神に救いを求めに行く事だった。
その後は別な形でストーリー展開する事になる。
それは外部の状況に振り回されるように、崩し的に巻き込まれていくものだった。
ネタバレ *1

ただ向かってくる外敵を打ち払っていた。

39章では冒険者がこれからの行き先を決める。
我々はどこへ向かっているのか。
ただ流されていた人生にグッバイ

それを表すメッセージがカッコいいのだ。

神を求めた旅はとうに終わった。
目をそらし続けた、次なる舞台は確かにある。

神を求めて旅をして実際に目的地まで辿り着けたのは冒険者たちがそこへ行くと決めた意志があったからだ。
しかし、その後は行く当てを無くしていた。その時々の状況を突破するための主体性を発揮していても、自分たちのゴールについては何も考えていなかったのだ。

そして今、ライファ―の不調とペペロペの弱体化を契機としたものではあるにせよ、 自分達の新たなゴールを見つけて、自ずから目指していく事になった。

メッセージは、ストーリーの始まりから現在までを総括し、我々に当初の目的を思い出させながら、停滞した世界を突破する。という意思を美しく的確に表現している。

無くした主体性を獲得する展開は好きです。*2

*1:崩壊する星を後にし、墜落し、異星人と闘い、タイムスリップに巻き込まれトカゲとともに異次元人と闘い、ライファ―に導かれるまま宇宙を漂う、そしてペペロペが限界を迎えていた、

*2:俗な言い方すれば、みんなが大好きな「転向の物語」である

原発の是非とか、

原発のことも書いておこう。 自分としては、どうしても肯定的な考え方ができない。

先に、敢えて肯定的な考えを述べておくと。

  • エネルギー資源を持たなかった国には夢のエネルギーであった
  • 廃炉やゴミ問題を考えなければ他の発電より低コスト
  • 火力と違って二酸化炭素出さないから環境保護に適している(火力も使わなければいいだろうとは思うが)

やめた方がいいと思う理由、反論を求む だいたいはシステムがうまく回ってなくて詰まってる。行政への不信。不公平感。とか。 反対する一番の理由は以下2点。

  1. ゴミ問題
  2. 不公平感

後述。

一連のサイクル

特に核廃棄物の処理まで含めたサイクルが回ってないのではないかということ、埋め立て場所が決まってない。

原発は核廃棄物を生み出す。これは危険であり超長期にわたって確実に保管する必要がある。 自然界に流出しても困るが、犯罪にも使われる可能性がある。 それが今だに当初考えられてた地中に埋めるということまでやれずガラス固化してもらった物とその他ドラム缶に詰められた物など保管されているという話。

学者は処分方法について考えられるだけの理論を考えただろうけど、それはやっぱりやってみなくちゃわからないだろうからね。 現実に行うにしても

高速増殖炉の線は無くなったわけでしょ・・・ 再処理で減るという目論見は潰えたみたいだ 再処理しても低レベル廃棄物が増えるという話もあってワケワカメだが。

施設は地方に作られる 六ヶ所村ラプソディーは面白かった。
端的に言うと、 大きな力の働きで、地域で暮らす人々の人生と葛藤のありようが左右された、その過去と現在の姿。 生っぽい人間の姿の切り口が良いっすね。 再処理施設は一応主題だけど、サブですよ。

人工物に絶対はない。

極論すろと地震大国日本に作るのはリスクが高いという言い方もできるし、地震が今はない地域でも10年後に突然地震が増えるかもしれない。 未来の不確かさってあるじゃん。
マーフィーの法則に「起きる可能性のあることは必ず起きる」というのがあったよね。
そういうことでしょ。 原発が作られてきたこの半世紀の間にユーラシアでもアメリカでも事故は起きていて、その危険度と影響度を考えると過小評価してはないけないんじゃないでしょうか? それでも改善して使い続けると、克服していくと言うのは、まぁそれはそれでいい。
 でも、それが日本でできてないじゃん?と言う風に見える。 地震大国だってことは自認してるし、津波も散々被害を受けてる、分かっているけど呑気にしていて現実になってしまったのは、 普通の人間っぽい性格が透けて見えるし、怠惰や非合理性を排除できないというか、むしろそれが普通で、それが人間の愛おしい所だなと思っているが。
東海村JCOの臨界事故、
もんじゅ
ドラム缶に詰められてどっかの施設に保管されている廃棄物、ガラス化して地中に埋められるのを待っているゴミ。
保管施設で作業員被曝
そういう体制を改めることもなく、それを制御するだろう政治にも参加せず、原発反対という意見を汲み取ろうともしないでバカにするような意見については論外だよね。 ただ怖がって反対するのは、危機回避的には正しいだろうと言う好意的見解を、私は示してしまう、それは贔屓かもね。 (賛成でも反対でも悪い意見というのはあるものだ。そうならないようにありたいと思っているけどさ、結局相対的なものだからさ) そういうわけで結局システムを改めることも出来ないんだから、犠牲が出ないようにやめるしかないじゃん。

最初に戻ると、人間が関わる以上また必ず事故は起きる。 被害の状況が惨憺たるものになりえるということは、今日本の課されているので言わずもがな。以前だったら海の向こうの話であって、殆どの人が関心を示してなかったと思う。建設地の地元民たちの闘争だけだった。

不公平感

自分が一番許せないことがあるとしたら公平性なのかもしれない。 以下2点。

  1. 中央と地方
  2. 現在と未来

中央と地方という言い方は嫌いだが、そこに不公平はあるんじゃないかという事。
地方に犠牲を強いてきた事を見逃せない、 なぜ東京で使う電力の発電を東京近郊ではなく、遠く離れた福島に作られたのか。そういう事も無視できない。 それは言うまでもなく危険度が高いからでしょう。

最初の原発原子力研究所のあった所の東海村、 2つ目に福井県、 3つ目に東北地方では最初の原発が福島にできた、東北の中では東京に近いというのはあるかもしれないが、

また、白河以北一山百文と言われてきた事も思い出した方がいい気はする。 住人は素直に受け入れられたのかとか、 戦後、もしくは戦前から、東北地方は割と工業発展とそれに伴う経済発展について割とスルーされてきていたかもしれない事も考慮、 *1 日本で発展が目覚しかったのは太平洋ベルト地帯でしょうから。それと明治を作った九州と。

昔読んだ河北新報の記事、 福島の原発を受け入れた地元住民のインタビュー記録、回顧、「やっとお国に貢献できる」と思ったというのは、御三家の膝元だったという誇りも感じる。 お国と一緒に発展させていこうという意気込みもあり。 しかしそういう事もなく中央が成長し、若者も中央に行った。

気になる事 その当時というのもやはり戦後であって広島長崎の記憶も新しいし、ビキニ環礁の記憶も新しい、核に対するアレルギーは相当激しかったハズで、であるからこそどの地域も積極的に受け入れたいとは思っていなかったのもあると思う。 その他の地域での住民と政府、または住民同士の軋轢ができていた事も無視できないし、*2 財政が潤って嬉しいという方がいる一方で、それとは別に生活が変化したという事で複雑な心境があるという話を無視しないでほしい。 リスクのために受け入れ先がなくて交付金などで補填したわけだから。

原発を作らないという選択肢は、国にはなかった。地方のどこかに作らせるためにはどうするかというそのための方法を一生懸命考えた。 それが国の発展に、つまり国の発展のために少数の犠牲は厭わない、技術的に、安全性に問題はないのだから、その上に交付金も出すのだから、
と言うわけではないかもしれないが、都合がいいのは事実でしょう。というのは言い過ぎか。

事故対応のための人員を集めるのも、大変だし、 足元を見られる場合や人転がしの話とか出てくるわけだ、まずもって裕福で安定した仕事に就いてる人が行くわけないからね、エネルギーを使って出てきたツケを他人に払わせてるという事を考えてないのかとか。外国人労働者も従事しているの?
被爆時の保証、保険も結局被曝の影響かどうかわからないという理由で保証されないという記事もあったけどどうなんだろうね。
 なんというか、つまりその、事故が起きたとき自分が原発の事故現場で働くという想像はしないだろう、それを考えたらやっぱり嫌だと思って。 必ず誰かがやる事になる、そのときそれを選ばざるを得ない人がいる、そんな境遇などに想像が及べば、やっぱり賛成できないかな、というかね。 ナウシカの風の谷の社会みたいに、老人になったら腐海に潜って働いてくるという仕組みにでもする? まぁでも被曝量計測しながらやってるから安全確保してやるので大丈夫ですと、だから安全ですよ、統計によれば他の仕事の方が危険ですよ、それに比べたら安全です。とか言い出したら、それは詭弁だろうし
徴兵の問題と似てるのかな、

使ってる人たちだけでやるってんならいいってんでもなくて、 自分たちの中だけで作って事故っても自分たちの中だけで処理するから自分たちだけはそれを使う。そんな保証できるはずないし結局何かあったら外に漏れるんだからやめてくれということにはなる。

現在と未来では、
現在エネルギーを使う我々はいい、だが未来において子孫はゴミを押し付けられる形になる、 我々が望んだものではないと主張されるかもしれない、未だ埋め立てられるのを待ってるゴミとかを 下の世代が処理しなくちゃならんと言う事になってくる、そのエネルギーで育てられたんだからって言うの? 立木さんが歌ってるアニメのOPで「先祖のツケを背負い込んで〜」っていう歌詞が何気に言い得てたので、これには単に共感しただけである。

高度経済成長と公害

原発ができていくときと、公害問題の事と照らし合わせて考えるのも有意義だろうと思っている。 四日市ぜんそくとか、イタイイタイ病とか、光化学スモッグとか色々あったんですよね。 小学校で習ったけどみんな覚えてるといいけど。 科学と文明の発展と表裏一体で、必要だったとかは断じてありえませんよね。 だが起きてしまったからには教訓にしなければならないということではあるかもしれない。 まぁこれは辞める理由にはならないんだろうな、 発展に犠牲はつきものだという事になる、 宇宙開発で言えば、日本で有人飛行実験をやって死人が出たら、そこで終わるよね、日本ではそういう風に理解されるんだと誰かのインタビューにもある。 だからやり続けるべきだと言う賛成者の意見もしかし、 原発の問題は、大勢を巻き込みすぎるからそういう点も全然違うきがする、これはまずコンセンサスをとるところからになるでしょ。

海外との関係

核廃棄物とか気持ちのいいものではない、 他国にあるものについて、内政干渉はできないわけだから、やめてとお願いすることにはなったりする。 核兵器かへの懸念もあるが、流出による環境汚染の不安を捲くこともあるでしょう。 こちらからもお願いする場合はあるでしょう。 チェルノブイリの時の影響範囲がヨーロッパに及んだり、 六ヶ所村の再処理工場の場合は六ヶ所村以外の周辺地域には何も恩恵がないみたいな関係を国レベルにするとですね、

この後

人口も減ってるということは技術者の確保と育成も難しくなる。 既存の原発施設の耐用年数とかの詳細はわからないですが、 10年20年以内に廃炉作業がぽろぽろ出てくると思うんですけどどうなんですかね? もんじゅは事故や解体を考えられてない変な作りだとかいろいろ出てますが、だいじょうぶなんですかね? そういう情報から不信はでてくる。 ただ、人間のやる事だから仕方ないと思っていて、そういうものだと思っているから、人間のダメな点を議論に含めて欲しいんだよね。

これからずっと世代継承してやっていけると思える根拠ってどこなんだろう? 「伊勢神宮遷宮」的な事をするならワンチャン

目先の利益

一年後に貰える1000円か今もらえる100円どちらを選ぶかという場合に今もらえる100円を選んでしまうというような人の性質。 賛成者の多くは、人間を無視しているような気がする、地方自治のありかたとか。 それとゴミや後始末の事についてどの程度重きを置いているのか、 もしもそれを軽視しているという事であれば目先の利益だけ追求しているという事になるが、それに自覚的なのかどうか。

多種多様な考え方があると思うので、それらが知りたいとは思う。

東京に作ればいいという人の大体は、意味を分かった上でそう言ってるんだろうなと思う。 中には本気で東京に作ればいいと思ってる人がいると思う。

交付金の適正額は?

まずちょっと想像を豊かに考えてみると、原子力関連施設のある各地域に多額の交付金を払ってもなお余りある利益を得られているわけだ・・・。 実は交付金の額が安いのでは?という疑問が出てもおかしくない。 安いか高いかわからないが、損得の計算をしないわけがないので、いくらまで出せるかを出す、いくらまで出せるか分かったら後はどこまで出せる額を減らせるかという事は当然考えるだろうと。
または、
お金の使い方それで良かったのか、 これからお金を使っていくときにこういう事を振り返り批評していく事で先々の使い方の良し悪しの判断材料にしていかねばと思ったりもするわけで。 地場産業の設備投資とかしただろうし箱物作っただろうけど、フルに活用できてるのか、でもトータルで考えるのは難しいよね。 一次産業都市のデザインとかおもしろそう。全土を全部工業化したらダメなはずなんで一次産業による都市化・・・・・

代替案

火力水力自然その他ミックスして使うことになると思う。 その時、発電可能な上限量に合わせるしかない、 エネルギーは無限ではないということは上限がある。ということについては反論の余地はない。 であれば、自分たちはどういう所を上限にするのかについて自覚的であるべきだろう。 上限を上げるために原発も追加するか否かまたは別な方法か、

*1:個人的には中央から距離をおいて正解なんじゃないかと思うが。

*2:六ヶ所村ラプソディーも見ればそうだが、それ以外の地域でも、全く語られてないのだが、端のジャーナリズムが多少拾っていると思う

選挙を話題にすることの是非

2019年7月の選挙。

投票率が48%だったとか、50%割れという。

なんでかなって思って、勝手に考えてるんだけど、 だいたい日常生活における優先度が低いんだろうと、なぜ低いのか、わかるわけがないのだが。
体感的な所では、興味の対象ではなくなってきてる、話題に登ることもなければ周囲の大人が話題にすることもなくなっていたからだと思う。 だから、選挙に関する躾や教育がなく習慣から排除されてきたので、これを習慣に戻すのは当分無理でしょう。 などと思いつつある。

卵が先か鶏が先か?

話題にならないから興味がない、興味がないから話題にもならない、 そもそも人々は選挙については語っても、その内容や候補者についてはあまり語らない。
それだけで記憶が薄れていくには十分だと思う。
少なくとも周りの人間が話しているのを聞いた覚えはないし、話すときは自分から話した時だけだった。

なぜ話題にされないのかについて1つの切り口。

 対立を招くから? 若人に関して言えばもともと全く興味がない人ばかりだった、それとも表面的にそれを装ってるのか...、 親は子と政治の話をしないものらしい。*1 対立を恐れるか、面倒ごとに関わりたくないか、全く関心がないか。 60年程度連続で1党が与党であり続けた事の思いも寄らない弊害なのかもしれない、「どうせ変わらない」的な。
 ともあれ、面倒な対立を招くから話さない、というパターンはあるよなと、 本来「お互い様」のハズでそれを忘れなければいいとは思うんだけど。 結局政治的対立があるケースだと支持政党以外を「否定」する話になる。
ここは面白い、そういう構造があるんだけど、その構造を理解しないとその自覚を持てないだろう。 自分が支持していることを優先するのが当たり前だと思ってしまって、政治家がそうであるようにその支持者も自己正当化をしてくる。 自己正当化をする時に最も簡単な方法が、相手を否定することでありましょうか。 そして、政治の話題ってなんだか知らないけど、妙にアイデンティティに結びついてるらしい、こういうのが妙に面白い、多分、やろうと思えば簡単に喧嘩できるのではないか。ディベートに持ち込んで溝を深めるのは簡単...。それはともかく、なぜアイデンティティと結びつくのか、満たされないアイデンティティの代わりに強い日本を描くことで代償にしているという分析があったな。日本の素晴らしさ優位性を説くということで、これが00年代中盤には出てきてたし、それ以前から国粋主義とかあったわけで、、、つまりセカイ系なんですよね。  そういう事を想像すれば、妙な対立を招かないように慎重に言葉を選んで、考えてやってるっていうのに、そりゃ考える時間は必要じゃん、そうしてやっても人々は誤解しあうものだから、もう踏んだり蹴ったりだって思ってる人もいるよね多分。
 そこでポリティカルコレクトレスですよ、お互いの主義主張を認め合うにはお互いが意見は一致できないという事を受け入れる事であり、無用な波風を避けるためには相手が支持しているものを貶すことはできないが、否定意見も表明しなければならないことは当然ある。 政治の場面が、センシティブでデリケートみたいなので、その上でいかに議論を深めるか発明されたとしたらポリティカルコレクトレスって有用かもしれないですよね。(?)

これから日常的な話題にしていけるのか?

でもどうせみんな利いた風なことしか言わないに決まってる。 なぜかって自分の生活優先の中で余分な情報を切り捨てたがってるから。 仕事の勉強した方が直接給料増に結びつくわかりやすさ。 目先の利益には全く繋がらない「教養」などは求められてないか、わかってる人に委託するのが簡単だ。 でもそれが評論家とか思想家が請け負ってそれはそれでいい協力関係なのかもしれない…。 役割分担が文明の発展を加速させるなら立憲君主制あたりに戻すか?

*1:もちろん全てではないだろうが

BS世界のドキュメンタリー カラーでよみがえるアメリカ「1940年代」

お題から御察しの通り、アメリカの昔の白黒フィルム映像に色をつけたもののようです。 このシリーズは 1930年代 〜 1960年代 まであるみたいですね。 アメリカで作られたフィルムのようだ。

1940年代なので戦争の話から始まり、戦後の情勢までをざっくり50分にまとめられてます。 国民総出で戦時体制に傾いていくところ女性の進出、日系人の収容所の生活 ルーズベルトが伝統を無視して大統領職に4期就任する。 トルーマンが原爆を使う決断をして、人種差別法を撤廃して、 戦中控えられてたストライキだが戦後はストライキの波、参加する人々。

カラー化された映像で、真珠湾が攻撃された時のものがあって、船は燃えてるしやっぱりすげーなって。 零戦が飛んできてるとこも撮れてたんだね珍しい。 時代が時代なので、日常的な場面より政治と経済の比重が多く、戦争に関わる絵が多かった。 欧州の戦争に関わるのか変わらないのか、大統領選の演説、兵器工場、製造中のB-24とか、 ファッションの色、地面の色壁の色車の色そういうのがいいっすね、私感だが田舎を思い出させる。

ルーズベルトのキャッチコピー? 「3期目の人間は三流に勝る」 (それが本当だとしても、後進が育たない方が問題なのではないかと思った。まぁ必ず正解があるわけでもなしその時々でよしなに臨機応変やれればいいよね。)

ウォルト・ディズニー、国が戦時物質提供を求めるそれに応じるためだが、自分ではバンビの像を壊さない。 ハリウッド女優によって流行っていた片目を隠す髪型、多分同じ女優が工場の製造ラインで働きやすい髪型を提案する。 ロスアラモスで働くブラッドナーは同じ場所で働く人たちを撮影していた、撮影できるパーティーや自分の結婚式の場面だ。

カラーになると臨場感が増すよね、情報量が増えてて。色は多分正確ではないだろうけど。 過去から今に地続きになってるような、人間は昔も今と変わってないと感じられる。