原発の是非とか、
原発のことも書いておこう。 自分としては、どうしても肯定的な考え方ができない。
先に、敢えて肯定的な考えを述べておくと。
- エネルギー資源を持たなかった国には夢のエネルギーであった
- 廃炉やゴミ問題を考えなければ他の発電より低コスト
- 火力と違って二酸化炭素出さないから環境保護に適している(火力も使わなければいいだろうとは思うが)
やめた方がいいと思う理由、反論を求む だいたいはシステムがうまく回ってなくて詰まってる。行政への不信。不公平感。とか。 反対する一番の理由は以下2点。
- ゴミ問題
- 不公平感
後述。
一連のサイクル
特に核廃棄物の処理まで含めたサイクルが回ってないのではないかということ、埋め立て場所が決まってない。
(そもそもそんなゴミの出る物を使うなと思っているわけだが)
原発は核廃棄物を生み出す。これは危険であり超長期にわたって確実に保管する必要がある。 自然界に流出しても困るが、犯罪にも使われる可能性がある。 それが今だに当初考えられてた地中に埋めるということまでやれずガラス固化してもらった物とその他ドラム缶に詰められた物など保管されているという話。
学者は処分方法について考えられるだけの理論を考えただろうけど、それはやっぱりやってみなくちゃわからないだろうからね。 現実に行うにしても
高速増殖炉の線は無くなったわけでしょ・・・ 再処理で減るという目論見は潰えたみたいだ 再処理しても低レベル廃棄物が増えるという話もあってワケワカメだが。
最終ゴミ貯蔵施設は地方に作られる
『六ヶ所村ラプソディー』は面白かった。
端的に言うと、
大きな力の働きで、地域で暮らす人々の人生と葛藤、感情のありようが左右された、その過去と現在の姿。
映画での生っぽい人間の姿の切り口が良いっすね。
再処理施設とその地域の人間が主題なんですね。
人工物に絶対はない。
極論すると地震大国日本に作るのはリスクが高いという言い方もできるし、地震が今はない地域でも10年後に突然地震が増えるかもしれない。
未来の不確かさってあるじゃん。
マーフィーの法則に「起きる可能性のあることは必ず起きる」というのがあったよね。
そういうことでしょ。
原発が作られてきたこの半世紀の間にユーラシアでもアメリカでも事故は起きていて、その危険度と影響度を考えると過小評価してはないけないんじゃないでしょうか?
それでも改善して使い続けると、克服していくと言うのは、まぁそれはそれでいい。
でも、それが日本でできてないじゃん?と言う風に見える。
地震大国だってことは自認してるし、津波も散々被害を受けてる、分かっているけど呑気にしていて現実になってしまったのは、
普通の人間っぽい性格が透けて見えるし、怠惰や非合理性を排除できないというか、むしろそれが普通で、それが人間の愛おしい所だなと思っているが。
東海村JCOの臨界事故、
もんじゅ
ドラム缶に詰められてどっかの施設に保管されている廃棄物、ガラス化して地中に埋められるのを待っているゴミ。
保管施設で作業員被曝
そういう体制を改めることもなく、それを制御するだろう政治にも参加せず、原発反対という意見を汲み取ろうともしないでバカにするような意見については論外だよね。
ただ怖がって反対するのは、危機回避的には正しいだろうと言う好意的見解を、私は示してしまう、それは贔屓かもね。
(賛成でも反対でも悪い意見というのはあるものだ。そうならないようにありたいと思っているけどさ、結局相対的なものだからさ)
そういうわけで結局システムを改めることも出来ないんだから、犠牲が出ないようにやめるしかないじゃん。
最初に戻ると、人間が関わる以上また必ず事故は起きる。 被害の状況が惨憺たるものになりえるということは、今日本の課されているので言わずもがな。以前だったら海の向こうの話であって、殆どの人が関心を示してなかったと思う。建設地の地元民たちの闘争だけだった。
不公平感
自分が一番許せないことがあるとしたら公平性なのかもしれない。 以下2点。
- 中央と地方
- 現在と未来
「中央と地方」という考え方は嫌いだが、そこに不公平はあるんじゃないかという事。
地方に犠牲を強いてきた事を見逃せない、
なぜ東京で使う電力の発電を東京近郊ではなく、遠く離れた福島に作られたのか。そういう事も無視できない。
それは言うまでもなく危険度が高いからでしょう。
最初の原発は原子力研究所のあった所の東海村、 2つ目に福井県、 3つ目に東北地方では最初の原発が福島にできた、東北の中では東京に近いというのはあるかもしれないが、
また、白河以北一山百文と言われてきた事も思い出した方がいい気はする。 住人は素直に受け入れられたのかとか、 戦後、もしくは戦前から、東北地方は割と工業発展とそれに伴う経済発展について割とスルーされてきていたかもしれない事も考慮、 *1 日本で発展が目覚しかったのは太平洋ベルト地帯でしょうから。それと明治を作った九州と。
昔読んだ河北新報の記事、 福島の原発を受け入れた地元住民のインタビュー記録、回顧、「やっとお国に貢献できる」と思ったというのは、御三家の膝元だったという誇りも感じる。 お国と一緒に発展させていこうという意気込みもあり。 しかし一緒に発展していくという事もなく中央が成長し、若者も中央に行った。
気になる事 その当時というのもやはり戦後であって広島長崎の記憶も新しいし、ビキニ環礁の記憶も新しい、核に対するアレルギーは相当激しかったハズで、であるからこそどの地域も積極的に受け入れたいとは思っていなかったのもあると思う。 その他の地域での住民と政府、または住民同士の軋轢ができていた事も無視できないし、*2 財政が潤って嬉しいという方がいる一方で、それとは別に生活が変化したという事で複雑な心境があるという話を無視しないでほしい。 リスクのために受け入れ先がなくて交付金などで補填したわけだから。
リスクを背負う事に反対していた人にとっては不条理なわけだよ。(例えば賛成派60%と反対派30%が存在したら、30%の人にとっては苦痛を強いるわけだから。60%の人間にその苦痛は理解できない的な)
原発を作らないという選択肢は、国にはなかったかもしれない。地方のどこかに作らせるためにはどうするかというそのための方法を一生懸命考えた。
それが国の発展に、つまり国の発展のために少数の犠牲は厭わない、技術的に、安全性に問題はないのだから、その上に交付金も出すのだから、
と言うわけではないかもしれないが、都合がいいのは事実でしょう。 というのは言い過ぎか。
事故対応のための人員を集めるのも、大変だし、
足元を見られる場合や人転がしの話とか出てくるわけだ、まずもって裕福で安定した仕事に就いてる人が行くわけないからね、エネルギーを使って出てきたツケを他人に払わせてるという事を考えてないのかとか。外国人労働者も従事しているの?
被爆時の保証、保険も結局被曝の影響かどうかわからないという理由で保証されないという記事もあったけどどうなんだろうね。
なんというか、つまりその、事故が起きたとき自分が原発の事故現場で働くという想像はしないだろう、それを考えたらやっぱり嫌だと思って。
必ず誰かがやる事になる、そのときそれを選ばざるを得ない人がいる、そんな境遇などに想像が及べば、やっぱり賛成できないかな、というかね。
ナウシカの風の谷の社会みたいに、老人になったら腐海に潜って働いてくるという仕組みにでもする?
まぁでも被曝量計測しながらやってるから安全確保してやるので大丈夫ですと、だから安全ですよ、統計によれば他の仕事の方が危険ですよ、それに比べたら安全です。とか言い出したら、それは詭弁だろうし
徴兵の問題と似てるのかな、
(シン・ゴジラの主役の官僚マンが前線指揮で放射線受けてる覚悟あたりが、理想を描いてるよなぁ)
使ってる人たちだけでやるってんならいいってんでもなくて、 自分たちの中だけで作って事故っても自分たちの中だけで処理するから自分たちだけはそれを使う。そんな保証できるはずないし結局何かあったら外に漏れるんだからやめてくれということにはなる。
現在と未来では、
現在エネルギーを使う我々はいい、だが未来において子孫はゴミを押し付けられる形になる、
我々が望んだものではないと主張されるかもしれない、未だ埋め立てられるのを待ってるゴミとかを
下の世代が処理しなくちゃならんと言う事になってくる、そのエネルギーで育てられたんだからって言っちゃうの?
立木さんが歌ってるアニメのOPで「先祖のツケを背負い込んで〜」っていう歌詞が何気に言い得てたので、ただただ共感ばかりである
高度経済成長と公害
原発ができていくときと、公害問題の事と照らし合わせて考えるのも有意義だろうと思っている。 四日市ぜんそくとか、イタイイタイ病とか、光化学スモッグとか色々あったんですよね。 小学校で習ったけどみんな覚えてるといいけど。 科学と文明の発展と表裏一体で、必要だったとかは断じてありえませんよね。 だが起きてしまったからには教訓にしなければならないということではあるかもしれない。 まぁこれは辞める理由にはならないんだろうな、 発展に犠牲はつきものだという事になる、 宇宙開発で言えば、日本で有人飛行実験をやって死人が出たら、そこで終わるよね、日本ではそういう風に理解されるんだと誰かのインタビューであった。その通りだろうか。 だからやり続けるべきだと言う賛成者の意見も しかし、 原発の問題は、大勢を巻き込みすぎるからそういう点も全然違う気がする、これはまずコンセンサスをとるところからになるでしょ。
海外との関係
核廃棄物とか気持ちのいいものではない、 他国にあるものについて、内政干渉はできないわけだから、やめてとお願いすることにはなったりする。 核兵器かへの懸念もあるが、流出による環境汚染の不安を捲くこともあるでしょう。 こちらからもお願いする場合はあるでしょう。 チェルノブイリの時の影響範囲がヨーロッパに及んだり、 六ヶ所村の再処理工場の場合は六ヶ所村以外の周辺地域には何も恩恵がないみたいな関係を国レベルにするとですね、
この後
人口も減ってるということは技術者の確保と育成も難しくなる。 既存の原発施設の耐用年数とかの詳細はわからないですが、 10年20年以内に廃炉作業がぽろぽろ出てくると思うんですけどどうなんですかね? もんじゅは事故や解体を考えられてない変な作りだとかいろいろ出てますが、だいじょうぶなんですかね? そういう情報から不信はでてくる。 ただ、人間のやる事だから仕方ないと思っていて、そういうものだと思っているから、人間のダメな点を議論に含めて欲しいんだよね。
これからずっと世代継承してやっていけると思える根拠ってどこなんだろう? 「伊勢神宮の遷宮」的な事をするならワンチャン
目先の利益
一年後に貰える1000円か今もらえる100円どちらを選ぶかという場合に今もらえる100円を選んでしまうというような人の性質。 賛成者の多くは、人間を無視しているような気がする、地方自治のありかたとか。 それとゴミや後始末の事についてどの程度重きを置いているのか、 もしもそれを軽視しているという事であれば目先の利益だけ追求しているという事になるが、それに自覚的なのかどうか。
多種多様な考え方があると思うので、それらが知りたいとは思う。
東京に作ればいいという人の大体は、意味を分かった上でそう言ってるんだろうなと思う。 中には本気で東京に作ればいいと思ってる人がいると思う。
交付金の適正額は?
まずちょっと想像を豊かに考えてみると、原子力関連施設のある各地域に多額の交付金を払ってもなお余りある利益を得られているわけだ・・・。
実は交付金の額が安いのでは?という疑問が出てもおかしくない。
安いか高いかわからないが、損得の計算をしないわけがないので、いくらまで出せるかを出す、いくらまで出せるか分かったら後はどこまで出せる額を減らせるかという事は当然考えるだろうと。
または、
お金の使い方それで良かったのか、
これからお金を使っていくときにこういう事を振り返り批評していく事で先々の使い方の良し悪しの判断材料にしていかねばと思ったりもするわけで。
地場産業の設備投資とかしただろうし箱物作っただろうけど、フルに活用できてるのか、でもトータルで考えるのは難しいよね。
一次産業都市のデザインとかおもしろそう。全土を全部工業化したらダメなはずなんで一次産業による都市化・・・・・
代替案
火力水力自然その他ミックスして使うことになると思う。 その時、社会や経済や生活レベルは発電可能な上限量に合わせるしかない、 エネルギーは無限ではないということは『上限』がある。ということについては反論の余地はない。 であれば、自分たちはどういう所を上限にするのかについて自覚的であるべきだろう。 上限を上げるために原発も追加するか否かまたは別な方法か、
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*1:個人的には中央から距離をおいて正解なんじゃないかと思うが。
*2:六ヶ所村ラプソディーも見ればそうだが、それ以外の地域でも、全く語られてないのだが、端のジャーナリズムが多少拾っていると思う
選挙を話題にすることの是非
2019年7月の選挙。
投票率が48%だったとか、50%割れという。
なんでかなって思って、勝手に考えてるんだけど、
だいたい日常生活における優先度が低いんだろうと、なぜ低いのか、わかるわけがないのだが。
体感的な所では、興味の対象ではなくなってきてる、話題に登ることもなければ周囲の大人が話題にすることもなくなっていたからだと思う。
だから、選挙に関する躾や教育がなく習慣から排除されてきたので、これを習慣に戻すのは当分無理でしょう。
などと思いつつある。
卵が先か鶏が先か?
話題にならないから興味がない、興味がないから話題にもならない、
そもそも人々は選挙については語っても、その内容や候補者についてはあまり語らない。
それだけで記憶が薄れていくには十分だと思う。
少なくとも周りの人間が話しているのを聞いた覚えはないし、話すときは自分から話した時だけだった。
なぜ話題にされないのかについて1つの切り口。
対立を招くから?
若人に関して言えばもともと全く興味がない人ばかりだった、それとも表面的にそれを装ってるのか...、
親は子と政治の話をしないものらしい。*1
対立を恐れるか、面倒ごとに関わりたくないか、全く関心がないか。
60年程度連続で1党が与党であり続けた事の思いも寄らない弊害なのかもしれない、「どうせ変わらない」的な。
ともあれ、面倒な対立を招くから話さない、というパターンはあるよなと、
本来「お互い様」のハズでそれを忘れなければいいとは思うんだけど。
結局政治的対立があるケースだと支持政党以外を「否定」する話になる。
ここは面白い、そういう構造があるんだけど、その構造を理解しないとその自覚を持てないだろう。
自分が支持していることを優先するのが当たり前だと思ってしまって、政治家がそうであるようにその支持者も自己正当化をしてくる。
自己正当化をする時に最も簡単な方法が、相手を否定することでありましょうか。
そして、政治の話題ってなんだか知らないけど、妙にアイデンティティに結びついてるらしい、こういうのが妙に面白い、多分、やろうと思えば簡単に喧嘩できるのではないか。ディベートに持ち込んで溝を深めるのは簡単...。それはともかく、なぜアイデンティティと結びつくのか、満たされないアイデンティティの代わりに強い日本を描くことで代償にしているという分析があったな。日本の素晴らしさ優位性を説くということで、これが00年代中盤には出てきてたし、それ以前から国粋主義とかあったわけで、、、つまりセカイ系なんですよね。
そういう事を想像すれば、妙な対立を招かないように慎重に言葉を選んで、考えてやってるっていうのに、そりゃ考える時間は必要じゃん、そうしてやっても人々は誤解しあうものだから、もう踏んだり蹴ったりだって思ってる人もいるよね多分。
そこでポリティカルコレクトレスですよ、お互いの主義主張を認め合うにはお互いが意見は一致できないという事を受け入れる事であり、無用な波風を避けるためには相手が支持しているものを貶すことはできないが、否定意見も表明しなければならないことは当然ある。
政治の場面が、センシティブでデリケートみたいなので、その上でいかに議論を深めるか発明されたとしたらポリティカルコレクトレスって有用かもしれないですよね。(?)
これから日常的な話題にしていけるのか?
でもどうせみんな利いた風なことしか言わないに決まってる。 なぜかって自分の生活優先の中で余分な情報を切り捨てたがってるから。 仕事の勉強した方が直接給料増に結びつくわかりやすさ。 目先の利益には全く繋がらない「教養」などは求められてないか、わかってる人に委託するのが簡単だ。 でもそれが評論家とか思想家が請け負ってそれはそれでいい協力関係なのかもしれない…。 役割分担が文明の発展を加速させるなら立憲君主制あたりに戻すか?
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*1:もちろん全てではないだろうが
BS世界のドキュメンタリー カラーでよみがえるアメリカ「1940年代」
お題から御察しの通り、アメリカの昔の白黒フィルム映像に色をつけたもののようです。 このシリーズは 1930年代 〜 1960年代 まであるみたいですね。 アメリカで作られたフィルムのようだ。
1940年代なので戦争の話から始まり、戦後の情勢までをざっくり50分にまとめられてます。 国民総出で戦時体制に傾いていくところ女性の進出、日系人の収容所の生活 ルーズベルトが伝統を無視して大統領職に4期就任する。 トルーマンが原爆を使う決断をして、人種差別法を撤廃して、 戦中控えられてたストライキだが戦後はストライキの波、参加する人々。
カラー化された映像で、真珠湾が攻撃された時のものがあって、船は燃えてるしやっぱりすげーなって。 零戦が飛んできてるとこも撮れてたんだね珍しい。 時代が時代なので、日常的な場面より政治と経済の比重が多く、戦争に関わる絵が多かった。 欧州の戦争に関わるのか変わらないのか、大統領選の演説、兵器工場、製造中のB-24とか、 ファッションの色、地面の色壁の色車の色そういうのがいいっすね、私感だが田舎を思い出させる。
ルーズベルトのキャッチコピー? 「3期目の人間は三流に勝る」 (それが本当だとしても、後進が育たない方が問題なのではないかと思った。まぁ必ず正解があるわけでもなしその時々でよしなに臨機応変やれればいいよね。)
ウォルト・ディズニー、国が戦時物質提供を求めるそれに応じるためだが、自分ではバンビの像を壊さない。 ハリウッド女優によって流行っていた片目を隠す髪型、多分同じ女優が工場の製造ラインで働きやすい髪型を提案する。 ロスアラモスで働くブラッドナーは同じ場所で働く人たちを撮影していた、撮影できるパーティーや自分の結婚式の場面だ。
カラーになると臨場感が増すよね、情報量が増えてて。色は多分正確ではないだろうけど。 過去から今に地続きになってるような、人間は昔も今と変わってないと感じられる。
NHKについて
まぁ残しておかないと忘れるから書き出しておくのだ。
昨今なにかと批判されているのが目立つNHKです。
ここではあの政党のことは関係ありません。
確かに最近は国営放送的な振る舞いが目立つ所があるかもしれません、公共放送としてそれは是正されるべきだとは思ってます。
僕は公共放送として、これまで社会に貢献してきたと考えているんだけど、そう思われてはいないのが大半らしい???、そんなことないよね?僕が見かけないか、わざわざ評価しないというだけで・・・。
しかし、ざっくり見渡してよく見かける意見はだいたい「受信料」の話題じゃないでしょうか、払うか、払わないかという。
そう問われたら払いたくないと言う人の心理は分かります。
だけど、本来そう言う問題じゃないと思うのだ。 記事を書く人も受信料について語られてる部分の比率が多すぎるんじゃないのかどうか見返してみて欲しいのだ。 それはバランスが悪いと思うから。
まず、何事も敬意を持って当たって欲しい所。
NHKが公共放送として設立されてこれまで、民間放送とは違うところで頑張って社会貢献してきた所があるのだ。
それが公共放送だからこそできた事があるわけだし、公共放送だからこそやらなければならない事があるわけなのだ。
そして、その存在の是非を問うに当たっては、本来であればその歴史を踏まえて、NHKの存在の「理念」についての是非が問われなければならないのではないのだ?
周りの若人話を聞いても何も考えてない、いや考えてはいるんだろうが、見てないから払いたくないだけみたいな感じだし。
料金に関しては確かに高いかもしれませんね、公共放送の存在意義と社会への貢献を考えたら安いかもしれませんね。高いか安いかは一概には言えない、これはこれで話し合いの余地があるんじゃないでしょうか。 その存在の意義と重みと国民とその未来にとって何がベストか、もっと話し合えばいいじゃん、それがなんで諸々すっ飛ばして極論に走っちゃうのよ・・・って感じはしてるのだ。 お値段に関してはちょっと安くして欲しいなって、学生の一人暮らしでも取られるとかはかなり恨まれるでしょうね。料金の取り方が公平か?という疑問があります。消費税も無くしてよ。
僕は好きだよNHK、好きだからNHKの肩を持つような偏りがある意見なのだろうと思われるのは勘違いも甚だしくて、 言いたいことは、物事の是非を語るときに枝葉ではなく幹にあたる話を理詰めでしていってよと願うばかりなのだ。
NHKなぜ好きかっていうのもあって、海外のドキュメンタリたくさん放送してくれたし、少数でも存在している層を、民間放送では絶対取り上げられない部分も取り上げて社会に一役買っている。 スポンサーの意向が輝く民間放送ではできない事を散々掘り下げてきたのはNHKなわけで、 個人的な理由でいらないって言う話をするのはちょっと軽すぎるよ。
しかしもしも今の時代ではそのインターネットがその代わりを担っていて、、、担ってないのはみんな分かってるじゃん。みんな公共より私利にいくから、、、
まぁそう言う時代の変化を見て、あり方を変えていくってことはあると思うよ、時代を経て役目を終えたと言う結論も出るかもしれないし、そうではなくて公共としてカバーしなければならない側面があるかもしれない。
NHKのおかげで本来得られなかった教養(教養というよりは雑学)も得られましたからね。
ニヤッキーとかデジスタとか、映像の世紀、歴史、さわやか3組、わくわくさん、ゴロリ、埴輪、ノッポさん、黒柳徹子、人形劇 三国志、戦争、アニクリ15、押井監督特番の際に 天使の卵 をHD放送できた大快挙。日本全国津々浦々で暮らしている人の姿とかも放送されてたよね、これだってダーツの旅でも捨てられるであろうリアルな姿があった。ニャンちゅう、忍たま、
夏休みのアニメ特番とか、マンガ夜話、アニメ夜話は日本の文化コンテンツの普及を担ってるじゃないか!。
ラジオでは青春アドベンチャーとか面白いお話を流してくれてたもんね。
これらの事を他の民間放送局でも民営の映像配信でもできますか?っていうのは訴えたいですよねぇ...。
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インターネット上に溢れる出来事について
まぁ残しておかないと忘れるから書き出しておくのだ。*1
インターネットのSNSを見ていて思う所。
たまに見かけるのが、 自分と同じ意見に集まって瞬間的に熱狂する。昔はイナゴという俗称が付けられてた。
それは「賛同して持ち上げる場合」も、「反対して突き落とす場合」も表裏一体で同じ行為なのだ。
目の前の出来事に反射的に飛びつく的な事で、それは人間の本能みたいなものだから無くせないんだろう。 *2, *3
独立した個人の集まりによって行われるようになってきた。
でも、この寄ってたかって持ち上げたり突き落としたりする事っていうのは、昔はマスコミュニケーションで行われていたんだよね。*4
新聞だとそう言うトーンは控えめだったよね、ゴシップ誌は別としてさ。
いやもちろんSNSの無かった昔でもコミュニティの中では日常的にあったんだろうけど、ただ、マスコミュニケーションを否定する人々が、否定している行為を何気なくやりつつその自覚を持っていない、と言うことがあるのではないだろうか?などと考えてしまったのだ。
もしそうだとすると、それは未熟に見える。
或いは、僕には見えないもっと別な切り口の観点があるのかもしれない。
そう、僕は昔からTVのワイドショーやニュースの一方的に見える語り口が嫌いで見るたびに嫌いで*5、嫌いなまま見てたんですけど。
やっぱり時代を経て今になっても、同じような現象を見て嫌だなぁと思うらしいと。*6
まぁなんか変な事を考えてるのかもしれないけど、僕はそういう人の事、考えや感覚が気になってて色々聞いてみたいのだ。
開発 開拓?(例えばブロックチェーンと仮想通貨)
「ブロックチェーンと仮想通貨と今より先の社会」
ヤング・ブルーウェル with アーレント によれば、 新しい技術を前に新しい概念、新しいルールを作っていかなければならないのである。 人間が持つ創造力を活かす事によってそれを成していかなければならない。
その時に過去を参照することには価値があるが、過去の事例をそのまま当てはめることは出来ない。 過去の慣習は過去の技術や価値観の体系によって形成されてきたものだから、それまであったものと出所や使い道の異なる新しい技術が台頭してきたときに過去の慣習を当てはめられる筈がない。
この状況をどんなメタファーで例えるべきか。それは一考の余地があるが、とりあえず。
今現在のブロックチェーンや仮想通貨の位置とは、飛行機が初めて登場した時代のような物で、それが実際に使い物になる代物かどうか分からず、貴族の趣味に収まってた程度のものだったわけだ。
状況は異なるが貴族ではなく、投資家の視点から考えられる何がしかの目論見による資本投下によって開発速度が速い。
飛行機は、戦争(WW1)で活躍する所を見せたが、その戦争を経た後で爆発的に普及とはならななかった、、、。
WW1の後は例えば航空郵便事業を普及させようとする動きもあったが、それはそれで大変だったようだし、
WW1を生き残った飛行機乗り達はアクロバット飛行のショーで稼ぐか航空郵便で稼ぐか、飛行機を降りるかと言う選択を迫られたらしい(実際のところは分からぬ)。そして、戦中ではなく戦後にパイロットの死亡率が上がった。戦争ではなく戦後の無茶なアクロバットが強要されるショーや航空郵便の事故で死んでいった、それは戦争より過酷な仕事だったと言えるわけだ。
飛行機というものが現代からは考えられ無いほど海のものとも山のものともつかずにいた時代って感じだね!!
その流れが変わったのが次の大戦(WW2)だったわけだ、あとはご存知の通りって事にして省こう。
そういう貴族の趣味にとどまり世間的には役に立た無いと人々に思われていた時代から、最初の大戦で活躍したけど戦争以外に使い道がないとなればその後の発展には至らなかった。2回目の大戦で飛躍的に発展していった事が大きな分かれ目だったのかもしれないが違うかもしれない。なにはともあれ、今飛行機は存分に使われている時代になった。戦争でも物流でも娯楽でも。そして社会のあり方も大きく変わったのでしょうね。
それらの状況が現在のブロックチェーンと仮想通貨が置かれた状況のメタファーになるかもしれない。
今のところ役立つものになるかもしれ無いがその保証はない。ただ先駆者らがそこに可能性を見出して遊んだり這い回ったりしている。仕込みに次ぐ仕込みの時代。ここから何かの芽が出てくるのかこないのか、運を掴んで時流に乗れるのかどうか。
技術の成熟とそれを受け入れる世間の情勢が揃うタイミングを待っているのだー。(技術が成熟してるだけでは社会に浸透しないのだ。)
ブロックチェーンと仮想通貨は既存の仕組みと違うことがあって
技術的にも原理的に解消できなさそうな欠点やランニングコストがある。
だから使われないということはなくて、それはそういう技術の形態に合わせたルールを人々が創造しながら使いこなして行けるかどうかにかかってると思うし、その恩恵は人々が自由に使えて平等に受けられるようにしなければならない。
だが人々にとって本当に必要なものかというと、実はそうでもないかもしれないという事も考えるべきかもしれない。他に上手いやり方もあるかもしれないのだから。
ブロックチェーンという技術そのものは面白そうなので、、、面白そうだからといって流行らせるものでもない、どこぞの大学の研究室で延々と研究されてその副産物が恩恵をもたらしてくれるという未来もなくはない。
新しく生まれた技術が、過去の事例に学んで大いに分析されて、間違いない方向へ研究が進み普及していく・・・ そして最初から役立つ物として構築されて出来上がってくれるならいいが、やはりそんなことはあり得ないのだ。 実際問題として未だに存在しない物を作り上げようとするには暗闇の中を進むしかないのだ。 五里霧中でミストウォーカーなのでミストウォーカーといえばテラバトルやろうぜ。 正解のわからない暗中模索、成功のサンプルも失敗のサンプルもない、明日をもしれない開発!(失敗例は既にたくさん出てるっぽいぞ!!!それでもまだ足りないって訳だな)
法律はグレーゾーンだらけかもしれないし?・・・。不味いと予想できる所は避けて歩くって本当にそんなやりかたしかできなさそうな気はする。だってダメかダメじゃないか決まってないし、それを誰がどう決めるかって言ったら人が決めるんだもーん。
仮想通貨・・・???
通貨というらしいが、既存の通貨ともなんとも異なる仕組みの物らしい。それを現実社会にどういう効果を及ぼすようになるのがベストなのか・・・。
とりあえず「中央集権であったもの民主化する」中央だの民主だのに関して直近で言えばメインはそのハイブリッドになるんだろうけれども。
というような話はそれは本質ではない気がする。本質は? 分からないさ。
そしてこの存在は世界情勢の影響をもろに受けるし与えもする。 国境を無視して動く通貨ってなんだよって感じだが、物理的な回線がなければ存在し得ないし、誰かがマイニングし続けなければならないし皆んなが保存し続けなければならない。 また、フィンテックやらとも結びついてきて、銀行設立に次ぐ金融革命的ななんかあるのかも? この存在によってまた世界が大きく分断されるかもしれない。 まずあり得ないと思うが、今は世代交代が進んでファッショが台頭してきて(揺り戻しが起きてるのか)それを考えると次の世代がどういう世界観を持って出てくるのか全く分からんので、分断もありえなくはないと思う。--(一帯一路構想も面白い事をやろうとしてる気はする。日本はもしもこれに対抗したいなら環太平洋経済圏でもぶち上げるのがよいと思う。対抗よりは協調調和を推進する事になると思う、ゲーム理論に従って成果を最大限にするなら。そこに仮想通貨を流通させて経済圏内の統一貨幣的なものになる)—
でもこれ一体誰がどう使おうとしているのか、わからんな、SUICAでいいよって感じだ。(無気力症候群)
現状この界隈の開発は同業他社でも皆んなでオープンですすめていこうっていう感じらしいのだが、要はVHS戦略を踏襲する流れがあるのかな、OSS戦略かな、そうはいっても独自に進める所もないとは言えないよね。
兎にも角にもまだ誰も成功してないけど資本は投下され続けてて、埋蔵金が埋まってる気がするんだよね。
逆に今世紀最大の経済事件に発展する可能性も秘めてるのかもしれない。
このブロックチェーンの仕組みを維持するのも、そこは慈善事業ではなくメリットがあればこそ、それを事業としてやろうということになる。 これが本当に自由に平等に使えるものになって、世の中の負担を減らして、明るい未来に繋がるのかっていうとそういうものでもないんだよね。 結局社会がどうあるべきかっていう思想が欠けていたら富の一極集中するのは変わらないわけだし、
我々が生きるのに必要な食料事情の方がなんだかんだ言って大事なのよねっていうか、それでいえば第一次産業に利益が還元されるようになる可能性もあるかもね。無いかもね。
新しいルールとは、、、
何が良くて何がダメなのか、という答えは原則の中にあると信じられる。 原理原則とは普遍のものであるから、迷ったらそこに立ち返る。ブレない標準器として使える。 進む指針を変動的な何かに依存することは最小限にして、良い原則を指針とすることで目的を見据えて進められるようにする。
ブロックチェーンを使ったゲームや何かが飛行機のように当たり前の存在になっている時代というのはどんな姿をしているのだろうか、そういう事を想像するのだが、すまん、俺はここまでだ!
仮想通貨以前にまず必要なのは食料の永続的な確保と物流革命でしょう。(それは同時並行でいいんだけど、現在の実態と新技術がマッチできる部分があるのかどうかってのもあるんだね。) 産業革命以前から、物の輸送こそが経済であったと言えないこともない。 データの移動がいくら進化しても実態が伴わなければ、ゲームをしているに過ぎないし、食えなくて人は死ぬ。 実態として社会の根元にあるのは物の移動ということになる。 評価経済社会とか、 その上部を支える食やエネルギーや製造のインフラは何も変わらないんだよな、そういう事を割と考えている。
エアコンの効いた綺麗なオフィスで働きながらゲームをしてるとか不公平だろうなってのは割りと思う。 人に誇るような仕事では無く自負だけがある。 それを解消するのは全ての職場を綺麗にする事でありやはり皆んな綺麗で明るくて清潔な職場でご安全に、 土木だってどこだって綺麗で快適にしていかなければならないというのが私の使命。 老後も綺麗な田舎で快適にご飯喰いたいので!
実際問題はなブロックチェーンゲームは面白そうなビジョンを見せてくれるのがまたつらいぜ!!!
余談
富める者が富を囲い込もうとしてるようにも見えなくない?
投げ銭に使いやすそうだし、 評価経済社会とは相性がいいのかもしれない。 でもガス代考えたら結局既存の金融機関の方がいいんじゃないか???
金融事業を個人の手に収めるという考えはあるか、収められる物では無い気がするな、リスクと向き合うんだから結局は組織的にやることになるでしょう。だったら既存の金融機関の方がノウハウあるじゃん。さらに規制も厳しいからカオスにはならないだろう。(たまにカオスな知能犯罪起きてるが、エンロンとかGSとかリーマン兄弟とか)
民衆はそれを理解して、実行できる法律を作る事になると思うが、まずはそれはそれでいいのかって話をしないといけないもんな。
この投票率でそれは無理だよな。
生きるとは喰うことと見つけたり
序
喰う、体に取り込むという事。
取り込む物、取り込む方法も様々、大半の方法は口で咀嚼してごっくんして取り込む事だが、時と場合によってはチューブで直接っていう事もあるし、点滴を受けてハイになったという話も聞いた事がある。
喰う事こそが人生の全てであり、喰う事ができなければ人生は無に等しい。
『アヴァロン』OPより。
export 「人生の真理」
おまけの人生は喰う事が全てだと悟ったのでござる。
だから「食べ事」を広めていきたいのだ。
本当は写真だけ並べて終わらせるつもりなのだ。*1
data [
本郷三丁目*2
学食も行ってきたんすが、それはNEVERまとめでも見やがれなのです。
一昨々日は
「刀削麺」麦をこねた塊を刀で削っていく拉麺だ。
一昨日のことは忘れた
あれは確か〜昨日(yesterday)、まぁいい君たちにとっては明日(tomorrow)!
思い出した、パスタとサラダバーである。
昨日は学食
そこは、古めかしくも歴史ある荘厳な建物に囲まれていた。
今日喰らってきたのは、
「穆撒 蘭州牛肉拉麺」
(穆撒:「ムーサ」と読むらしい。)
微妙に不揃いな白い太麺に白湯スープに牛肉やらが乗っていた。
あと中国の「お箸」はなぜか太い!
味はそれを表現する語彙も何もないので割愛。
ふむふむ「清真料理」というの括りがあるのかなるほど!
お店の看板に見えた「Ḥarāl」の文字は伊達じゃなかったんだなと合点がいった。
今日食らってきたのは、
「ステーキ」
ステーキチェーン店のステーキ130gである!
もやしの上に130gの肉塊が乗っている。その他にコーンとポテトが申し訳程度に添えてある。
スープとライスが付いているのは、付いていてくれと願うばかりである。
*3
日本のどこにでもあるかのような普通のステーキである。
つづく