ジョーカーのこと

久しぶりにゾゾっと面白かったです。

最初に見終わってから考えるほど、 アーサーがジョーカーになるという動機には疑問が出てくるばかりでした。
単に、人生行き詰まって追い詰められて孤独で、その経緯から大きな悪者になる動機はとことん弱いと思えた。

主人公のアーサーはどんな人だったか。
アーサーは、ピエロの仕事をしながら薄給で年老いた母との二人暮らしを維持している。
脳の障害のため突然笑い出す発作がある。
流行りの精神病でカウンセリングを受けている。
貧困。
そんな環境下にありながらも、母に優しく接して、健気に働いて、コメディアンになる夢を追いかけていれば、
バスの中で子供を笑わせようともする。 純粋で心優しい人に見えなくもない。
でもそれは違うと思った。

富裕層と貧困層との対立みたいな雰囲気は出されてるんだけど、アーサーは最初は無関心のようだし。
結局アーサー自身は貧困にあえいでいるだけで、特に富裕層を妬んだりも比較して己を卑下しているわけでもなさそうな。 そもそも富裕層と関わっていないので。

映画の紹介コピーで後から気になったのが、
「純粋で心優しいアーサーが悪のカリスマに」というのがまた嘘で、
そもそも「純粋で心優しい」というコピーがどこから出てきたのか。
純粋で心優しいのであれば、 必要ないと断りながら渡された銃を持ち歩き続けるのも変だったし、 そもそも積極的に誰かに優しくしている姿は無さそうな気がする。
 母親に優しかったり、バスで子供を笑わせたり、普通のおっさんの感じです。
特に、家の中で銃を構えて遊んでいるシーン、母親がいつも座ってる椅子に向かって何度も構える、このシーン見たらもう腹に一物抱えているのは瞭然なわけで...。
いつも優しくしてあげてる姿はあれど、意識の中にはそんな単純では無いものがあるんですね。
こういうシーンはぞくぞくしますね。
また、電車で暴行してきたサラリーマンを銃で殺してしまったのも最初の一人、二人目だけなら事故だったとも見えるが、
生き残りを追いかけて撃ち倒した後に残弾全て打ち込むという描き方はしないでしょう。
純粋とか心優しいとかそれは誰にでもある部分であって、この映画ではそんなのはポイントじゃ無い。
確かにアーサーは腹に一物抱えていて、純粋とは言え無いでしょう?

その境遇は、貧困で友達もなく母親との暮らし。
もしかしたら孤独を感じていてだからこそ脳内彼女
ストリートチルドレンには袋叩きにされて何もできない。
仕事先の同僚に貰った銃のせいでクビにされ、
カウンセリングと薬を貰っていた福祉は財政的理由で打ち切られ、
コメディアンにもなれないばかりか、
尊敬していたTV司会者にバカにされたり痛いところを抉られて、
サラリーマンを殺しているから後戻りできない心理とか
ことごとく追い詰められていくので、それはもうそこまで叩かれて裏切られたら正気ではいられないだろうと思ってもいいけど、
「悪のカリスマ」にはならないよなぁとも思った。

でも、もっと別な視点があるのね。
社会を混乱に陥れる、人々を悪に誘う、そのことに動機があって喜びを感じているのかちゃんと線が繋がってるのかまだ疑問。 父親の喪失は、司会者のマーレイ、トーマス・ウェインのそれぞれから否定された事はあるかもしれないが、 ウェインからの否定はバットマンへの憎しみという部分につなげる物かもしれない。

脳内彼女については滝本きゅんの超人計画が詳しい。

脳内彼女だったというところから伺えるのは、アーサーの視点には現実では無い嘘が混じっているという事でもある。 なのでアーサー主観のパートは嘘が混じってると解釈されても否定できないので益々めんどくさい映画になっているぞ。

その他、
アーサーの笑いが、あれが脳の障害で笑ってるんじゃ無いとわかる人はすごいなぁ。 アーサーは自分を知り本心から笑えるようになった、自分のやりたい事を知った、アーサーにとってはハッピーエンドなら、 ここでアンパンマンのマーチをかけてもいいかもしれない。

タクシードライバーで言っていたこの街をゴミを洗い流してくれと、ジョーカーの気持ちは少し同じで少し違う。

最初に涙を流している意味は映画を見返して確認したいところ。

喜劇と悲劇の境界線についてもっと考えないといけないなと思う。 喜劇だと言われるところがよくわからぬ。=>キングオブコメディを見よう

アメリカの一部では上映に伴って警備が強化されたとか、『ダークナイトライジング』上映で銃撃事件があったこと、アメリカでの肌感はよくわからないが、 作品が毒を持っていて感化させられる人がいるのも当然だけど、これまでそれによって実際の破壊行動に至るのは極少数なのであって、、、 いや、それは許される作品と許されない作品はある、社会の道徳に反するものは上映されないだろう。 考えれば特に問題が起こることもないだろうし、ジョーカーはその辺ちゃんと常識的な範囲で描かれてるから上映が許されてるのだろう。 日本ではそのような反応は起きていない何故か?映画に感化されて暴力を振るう奴なんていない? *1

*1:このことは音楽は国境を越えられても「映画は国境を越えられない」と言うことを体現している例だと思う。