キング・オブ・コメディ

ジョーカータクシードライバーキングオブコメディと見てきたら、恐ろしくなってきた。 いかようにも解釈できるというのは案外恐ろしいもので不安になってきますね。

ルパート・パプキンは、コメディアンになるために、それと好きな女性を口説くために無茶苦茶な行動と嘘を重ねていく。

類まれな行動力でアポを取り付け、ネタを持ち込み、突き返されても本人の意見しか信じないと頑なに、
最後は芸能人を誘拐までして自分のネタをTV放送させてしまう。
TV出演までこぎつけて一夜限りのコメディ王になったというわけだ。
その行動の描かれ方がコメディっぽくもあるが、見る人によっては一笑に付されていそう。

その時放送された内容が実際に面白いのか面白く無いのかはネイティブにしか分からないだろうからなんとも言えない。
日本のお笑い芸が外国で受けないのと同様に。
放送を見た女性、刑事、バーのお客さんの反応を見るとそれほど面白そうではない。
刑事のセリフからすると面白くなかったようにも取れるが刑事個人の意見だとも言えるのでわからない。
世間では実際に面白いと思われたと設定してもよいのが映画である。 実際に映された放送内容も現実ではなく幻想だと見る人がいるのも頷ける。

さらにエピローグがあってびっくりですよ奥さん。 誘拐して脅迫して達成したTV出演が話題になって、獄中で自伝を書き出版権が高値で売れて、改めてTV業界に入る所が描かれる。

だがしかし、このエピローグが映画に不穏な気配を更に醸し出す。
一夜限りのキングになってそのまま捕まって終わりなら、分かりやすいものだが。 その後の成功が現実か嘘かを断定できない、 作中ではそれまでもルパートの幻想を現実のように描いているので、同様にこれが現実か幻想のいずれだとしても否定できない。 かと言って明確な証左が作中に描かれているならともかく、それが無い以上は現実と幻想のどちらでもありうる状態なわけだ。

一見した時は、犯罪までして最後には大成功を収めるというよりは獄中でルパートが妄想している世界とした方が実際にありそうな表現だと思った。
しかし、それは結局映画を見た一個人の見方であるに過ぎない。
事実は小説より奇なりといい映画はフィクションである、映画の中でルパートが最後に成功を収めるキングオブコメディになっても良い。
実はルパートの愛嬌があって観客がそれを許してしまうなら肯定もされる。
現実か幻想を示唆しつつ、そこに明確な答えが無い以上解釈は自由というか何も断定できない、 現実とするのも幻想とするのも観客の思い込みだけが存在しているに過ぎない。

僕はこのエピローグが幻想だろうと思いつつも現実味を感じた部分もあって、
それは出所後TV出演するルパートが何度か名前を紹介されながら何も喋らず笑顔のまま手を振ったり不気味な間が描かれた事で、
結局話題性でテレビに出ても芸人として成功できない現実が描かれたようにも見えた。等身大のルパート・パプキンが浮き彫りになったかのような。

ジョーカーとの類似点がある。 ルパートが晴れの舞台で見せたのは自虐ネタなのだが(それがルパート自身のものかどうかはわからないが)、 ジョーカーがコメディクラブの小屋で見せたのも自虐ネタだったこちらはジョーカー自身のものだと作中からも見て取れる。 とりあえず抑圧された人生の虚しさを感じた。