ナイツ&マジックが案外面白い…
ロボットは男子のロマン。主人公がそう言ってました。
自分専用のロボを作って自分で操縦する。
ガンダムしかり、フロントミッションしかり、アーマードコアしかり、
去年はガンダムビルドファイターズもありました。
そういう物が、アニメとゲームで育った私のような人には幾つになっても刺さる所が残ってるんでしょう。
だから面白いのかというと、理由としては貧弱ぅかもしれません。
欲しいおもちゃを手に入れた男子は大はしゃぎです、みんなでロボになりきって楽しんでいく所存です。
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書きたいことを忘れていた。
この中で出てくる魔獣、魔法が使える獣みたいなイメージの生物であり人社会にとっての害獣がでてきます。
襲ってくるので退治してるんですが、その生物の強さなどを見ているとですね、遺骸から素材を取って加工してっていう、
そんなシーンを勝手に想像するんですけど、そんな描写が全然出てこないのでちょっと不満ですw
あの角とか牙とか甲羅とか色々使えそうな感じなんですが、
なんて考えるのも、ダンジョン飯の影響でしょうか。
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お話は、よくあるラノベの異世界転生もので、、、最近はなんでも転生させてますが。
まぁあんちょこで、お話を展開しつつ読者を引き込むそういう設定のお約束なのでなにも問題ありません。
むしろその設定で余計な情報をカットして表現したいことに集中できる。
もう転生とかそれだけの効能、機能のためのものと割り切れる作品が多いみたいですね。
こういう、元の世界とかほぼほぼ関係してこないストーリーで、
転生という設定の意味がもうほぼ無いと言っても過言ではない気もするけど、それはそれで割り切れるのだ。
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異世界と言えば、その世界に召喚されるお話が沢山あって、大抵は元の世界に戻りたいっていう動機があった。
「ストレンジドーン」、「今、そこにいる僕」、「魔法騎士レイアース」etc…
と思うんだけど、最近、死んで生まれ変わって転生してるから、それは死後の世界なので
もう帰ろうとする必要がない。この設定ちょう便利なんだけど、。
もうちょい考えを掘ると、マトリックス〜レボリューションズ〜で出された結論が、
機械を外して現実を生きるか、機械に接続されて仮想の世界で生きるかは人々の自由な選択に委ねられるという。
この2000年前半に出された答えはきっと半分くらいの人はずっと思い描いていたと思うんですよ。
フィクションに耽溺する時ってその世界に没入してそれが現実であれば…と思うような側面はままあると思うし。
だからもうその頃から既に、現実に戻る必要はないんだっていう方向性に、マトリックスの影響も受けて
今の転生モノがじゃんじゃん作られてるのかなとか、
でもナイツ&マジックだけじゃないけど、これをわざわざ転生にしなくても、できるよねっていう・・・
あるのはただひたすらに自分のロボを作りたい、それで幼少期から勉学に励みっていうただの天才という扱いでもできる。
堂々巡りにはまるので考えるのをやめた。
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これは作品を成立させるための高度な抽象化です。お約束です。(高度かどうかは分からないが…
ただ、こういう物を面白いと言ってしまっていいのか、所詮ラノベのアニメだろうとか、
こういうの好きなんだぁと他人に思われる事とか、どうせ一過性の作品で後に残るもののないそういう、
そういう物をいちいちブログに、しかも単に面白いと書くのって、どうなのかなぁって思いますけど。
お許しください。
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さて、#6 まで視聴して。
想起されたこと。
Given how hard the Japanese people work, why isn't their economy stronger? - Quora
https://togetter.com/li/1137275
Caption: "Working in Japan" pic.twitter.com/uqVJEXHW7R
— Jon Clemons (@jclmns) 2017年8月3日
常識と慣習の中で地道に積み重ねながら日々の暮らしを過ごしているところへ、
外国人か宇宙人かがやってきて、革命を起こす。と言う感じのあるある。
それを見てみんな感嘆してチートと叫ぶパターン。
そこからちょっと別軸に飛躍して、きっと言い尽くされているんだろうけど、
日本の歴史で習った黒船来航がみんなの心の中にあるためにこのパターンが受けている。と言うこじ付けて見ることも、もちろん嘘です。
戻すと、その国と、その国にやってきた外国人が持ち込んだ物
それを受け入れるか、拒絶するか、対立する事もある。
今回の話では、コンペを開きましょうと言う話の方向に進んでいる。
それで、くだんの Work in Japan を見返すと、拒絶される事が多いと。フィクションではみんな受け入れられているのにも関わらず。
(もっともJapanに限ったり、そんな大きく括れる話ではないはずなのでご愛嬌だが。)
きっと気づいていない事も多いんだろう。
極端な例を出すと、今回のお話では、メカを動かすのに鍵を使った仕組みが考案されてるんですが、多分あの世界でも、家に鍵をかけることはあると思うんですよ、王城が開けっ放しで解放されているなんてありえないでしょ。、、、あるかも。鍵はないかも。鍵を作れるようになったのはすごいねぇ。鍵っていつから作られるようになったんや、でも時代劇では牢屋についている鍵を見かけるぞ。後で調べよう。
極端な例を出すと、今回その外国人が作らせた新型ロボットが、人馬兵なんですよ機甲界ガリアンに出てきた人と馬が合体した形のロボ。
それが荷車を引いてくるので、それはもう車輪でいいんじゃないの、自動車でいいんじゃないの、荷車自体はそれが通行できる所でしか引けないんだから、もう馬で引く理由ないじゃん、とか思ってしまうわけですけど。それはまぁいい。アルカディアに見るロマンだからな。
あえて人馬兵型のロボを作るその外国人の手腕。その仕事に度肝を抜かれる偉い人々。
外国から来たものを受け入れるのか、拒絶するのかは、実際問題なかなか戸惑うものもあるよね。
日本かどうかはともかく、同じコミュニティの内部から発生してきたものはみんなパクろうとするじゃないですか?
そこでこの話が出てくるんですけど、その外国人の提案をフォローする最初の人がいるかどうか、
社会の中で、会社の中で、そういうところに目配せできるといいのかなと思いました。
アフリカではかえる跳び現象が実際に起こっている。こっちの方も現実にある事としてよくよく参考になるでしょう。
カエル跳びで成長する、アフリカの奇跡の発展現象|ライティング・プラス代表、三村真佑美のブログ
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生前は天才プログラマーだった倉田さんですが、こんなネタも…
twitter.comナイツ&マジックってアニメに出てくる天才プログラマの倉田、天才なのでほぼ全てのメソッド名に自分の名前入れてるっぽい(getKurata, createKurataEvents, updateKurataImmediately などがある) pic.twitter.com/8hF7E9Xcf2
— supermomonga (@supermomonga) 2017年8月7日
“kuratEvent"はtypoしてますよね多分。
現実でも実際に自分の名前を付ける人はいました。名前を考えるのが煩わしいって事なんですかね…。
ちょっと世界を救ってみようかと思ったんだけど、
やっぱり、ただの村人には無理だなっていう結論が出ただけだった。
前々から気になっていた事、政治、質問、本質、二番じゃダメなんですか?
気になってる事、いくつかあるうちの一つ。
2000年代からのTVのニュースやワイドショーがいっつも変だったとは思うけどまぁそれは一旦置いといて。
(ちなみに、それ以前はよく知らない、1990年代後半から見てるから)
2010年ぐらいの話。
国会で、予算のことで、たくさんの分野の精査をしてる会議だったかな、それがあって、
蓮舫さんが、二番じゃ何故ダメなんですか、っていう質問をしていて、それを僕は いい質問してるなぁと思ったんだけど。
それについて世間の反応は批判だけだったような気がした。
周りも肯定的に話す人を見たことがない、そもそもTV政治には興味なさそうだったわけだが…。
(だいたい生活の事と娯楽の事以外は興味ないっていう感じで。または一方的な先入観で見てるか)
先に言っとくと、
その質問に国民が納得できる回答を出せない相手であるのならば、そこに出した予算はドブに捨てる事と同じではないのか?
と思った。
立場や役割としても、税金を預かって、使い方を精査しようとしている側で、大勢の組織に対してそれを行なっている。
だから質問してるんであって、その質問の質というか目線の高さのような物が、悪くないと思った。
何でそうなんだろうという素直な好奇心や、意味の再確認、科学と技術がごっちゃになった日本にとっては悪くない質問。
まず、よくやったと思う。別の切り口を当てて、物事を動かそうとした。
マクロスでガンダムに対抗して作って失敗してその教訓を経て大成した河森正治監督の事とか想像してもいいじゃないですか。
で、言いたい事、
僕は、惜しい事だと思った。
一時期、科学技術立国を謳いながら、科学と技術は別物って意識が薄いこの国で、
その質問は、科学と技術について考えられるようになる一つの芽になったんじゃないか、
声の大きい人たちは(反民主は特に、ネトウヨも定着している時代だ)、そもそもそんな質問をする事はくだらない、する奴は分かってない、大体そんな論調だった記憶。
声の大きい人たちは、それなら予算を取りたいライバルとの競争の中で、予算が取れる説明をしてよって思った。
その人がどういう意図で発言しているのかを受け止める事。
発せられた状況、やりとりは想像しないと分からないわけで。脊髄反射はやめよう。
自分は何でそう思ったのかね、
それまでに、
基礎研究に比重が置かれなくなってきている事から将来を憂いている小さな記事を読んだ記憶とか
五代さんとロケット開発にまつわる記事を読んだ記憶とか
教えてください富野です読んでた事とか
石原慎太郎が街中の演説で、中国の有人宇宙飛行に関して、あんなもの日本は一年で出来ると喋ってたのをTVでみたんだけど、
当然、その人は小説家かなんかの人で、別に技術屋じゃないし、そういう物に対する造詣が深そうな人じゃないのは思ってたから
頭の中の話をしてるなぁって冷めて見てるんだけど、その当時当選してるわけで、日本の世間はそういうマインドなんだなと思った
そう考えるのは、
日露戦争に勝ったあと大将が、下に向かって、勝って兜の緒を締めよ、 ロシアには運よく勝てただけだから、驕るな と言った
しかしその後、国連脱退、大戦で敗北したという流れの記事を思い出す。
つまり、上のその発言に驕りを感じてしまうのと、技術屋さんの書いていた記事とのギャップ。
でもその態度や性格が大衆には受ける。
でも有効投票数の過半数は取れてないんだよね。
冷めて投票に行かない人が大半だという事は、大半は中道的な感性なので思うほど心配する必要がないのかも。 とか思ってたら、隣の人は、投票しない理由は興味がないからだったので何とも言えない。
民主党政権そんなに悪く無かったけどなぁ。
というか、一党でやってた時代ではなくなる、
特定の政党しかできないとかいう状況や意識は脆弱な組織になりそう。
それを避けるには政権をやってもらうしかない。
だから二大政党制という結論に行くのは分かった。
実際民主党は色々動いてたようなニュースが多かった気もする。
色々動いて、問題が出てくるのは当然だろうという見方。自民党も〇〇チルドレンだったわけだから。
1回目と考えれば、マシでしょう。
敵に塩を送る人もいなかったでしょうし。
それらの事を今でもたまに思う。
何か教訓が得られれば一番いいのだが。
正解するカド
「正解するカド」視聴完了。 正解ってなんすかね、なんなんすかねなんすかね、
結論としては、面白かったです。 似てると言われている、幼年期の終わりはこれから読む予定です。 でも多分、被る所はあるだろうけど、この正解するカドはそれとは違う独自の方向に向かってるだろうと思っています。
この作品の当初で面白いと思い期待した事は、宇宙の外からもたらされた"ワム"という無尽蔵のエネルギー源をいかにして世界で公平に共有するか。それによって世界がどう変わっていくか。
それが見たかったが、そういう方向ではなかったのでちょっと残念。
思うに大衆向けに作られるお話の進め方として、キャラクターの内面に向かっていく物が多いですよね。
私とあなた、あなたと私のような、その方が分かりやすいし集中できていいんだけども。
コミュニティ対コミュニティというのはなくて、結局グループの中の個人に焦点が合わせられるのかな。
進藤さんとザシュニナの2人のプライベートな関係のお話によって終結した感じがしてしまう。
それは本当は違うんだけど、そういう風に見えるのでお話を作るのって色々考えて難しいんだよなぁと。
ザシュニナさんが寂しそうにしてるのは萌えますね。 ちょっとBLチックな表現だった気がしますが、これはBLという概念を知ってしまったが故にそう認識してしまうだけだと思いたい。おかげさまでそういう風な見方を拭えなくて考えるのに邪魔になってるわけですがまぁよくある事なのでいいっす。
進藤さんは交渉人で、ザシュニナという存在と交渉する。その交渉に関する事について、これは作品の中心に近いと思うのでそれらの関連でもっと考えたいんだけど、、、保留。
進藤さんの出した答えが、サプライズを与えるって事が面白かったです。 相手がどうしたら驚くかってよくよく考えたんだろうな、他者への思いやりを感じてしまう。
あと最後に述べられた演説の内容でで素敵だと思ったのは、 異方に関連した物が全て消滅したあとに、これから人(人類)がどこへ向かうのかを語った事ですね。 何も無かった事になるなんて、嫌だなぁと思ったんだけど、そうではないという話をされて感心した。
でこの作品について超簡単に言ってしまえば、「我々は何者なのか、どこから来てどこへ行くのか」っていう話だった。
報道の人が「事実だけを伝えるんやー」って言ってて、あーたかがアニメが世間に問うてるよ。
でもこれは、今の世間に対するメッセージでもあるという事と今気づいた、意識して見ていないとスルーしてしまうけど、こういうテーマが出てくるのも見てて面白いんですよ。
(最近そういうニュースを見てたから今意識できてるんだけども。)
記者のフィルターを通過するから、複数の視点が必要なんじゃろうか?。でも、中道、ニュートラルであることが、、、
そこで、ふと思い出す、
池上彰さん、有名ですよね。彼は中立に徹するというか、事実のみを報道するというスタイルだと意識して考えると、スッキリ説明できていいなと。
自分の意見という物は脇に置いておいて、報道を仕事としたからには、事実のみを伝える。テーゼがあればアンチテーゼも伝えるよっと。みんなでそれを見て考えてシテーゼまで出しましょうという事かもしれませんね。
少し話がずれます。
その池上さんが今の政権や風潮に苦言を呈しているのは、その池上さんをしてそこまで言わせる程の状況という感じでしょうか?
それは「国益」という言葉に対する意見についてです。 メディアが国益を言い出すときの問題について。
メディアが国益を意識し始めたらおしまいである | シノドス編集部
「一九七一年の沖縄密約問題」こういう事を知らないといけないよね。教育によってでもいいんだけど…。権力側はそういう事をやる。 利害関係などを考えてシステムを構築する。憲法とかもそういうシステムになってますよね。そういう物を意識して構築していかないとダメだよね。 人が悪いんじゃなくて、そういう事を生み出すシステムがあるという考えに立って、まぁシステム理論とかの話も大事。
だから、たかがアニメではないんですよ。
というわけで、報道が御用報道になってることに対するさりげない提言なのだろうと、そのセリフを読んでみた。
::最近、「強弁」という言葉を認識しました。確かに、権力側は強弁的な物言いが強いように感じます。自分が判官贔屓な性格だからかも知れませんが。
今の職場の直属の上の人が、強弁的だなって思う。合理性と強弁かな。なんかやりづらい。
こんな話はしたくない。
「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが高倉健から学んだ“17秒の沈黙”とは? 白象の気まぐれコラム/ウェブリブログ
菅官房長官に関する記事をいくつか見た。
主には、質問には答えない人という事だった。
当人は答えている気になっているらしい。
まぁ、そういう人の相手は疲れますよ。
思い込みが激しいというか、話の通じない人。
批判に対して答えないのであれば、民主主義になり得ない。
結局は、そういう出来事を覚えて、選挙でその人を選ばないという事をするしかないけど。
もうやだこの国の政権。いい話が見つからない。
正解ってなんすかね、目には見えないもんすかねぇ
いい商品は売れ続ける。売れ続けるから、生産され続ける。すると改善され続けて、さらにいい商品になる。素敵スパイラル状況。
そこで、しかし、と考える。
その昔、乾電池から、充電池のエネループへ切り替えました。それ以来乾電池を買う事はありませんでした。
パナソニック eneloop 充電器セット 単3形充電池 4本付き スタンダードモデル K-KJ53MCC40
エネループもまだ、1500回とかそこらの回数が下限のようです。最大どの程度まで使えるのかは出てないので分かりませんが。少なくとも1500回は繰り返し充電して使える良い物です。
ここまでは良いと思います。
では、充電して繰り返し使えるという事は、乾電池に比べて、売れる数が減っていくわけですよね。
(似た話として、電球の話がありますが。)
そこでそれを極端にして考えると、製品の性能が上がって一生使い続けても寿命が来ない程度の物になったとしたら、
一時期は大量に生産されて以降は、売れなくなる、作られなくなる、という事態が起きるかもしれない。
そうなってくると、生産する方法が忘れられていく、設備もなくなっていくか風化していく。
そのあとで製品の寿命が来ると。また粗悪な製品からリスタートを余儀無くされるかもしれない…。
これはゆゆ式(由々しき)問題ですぞ。
利用する側は、より良い性能(寿命も)の充電池を求めているので、そういうものを使いたい。
メーカーがそれに応える。そして上記のように夢のようなものが出来上がった時、油断してはならない、次世代のことを考えて、
技術を継承する儀式を残さなくてはならない。そのためのヒントが伊勢神宮であり、伊勢神宮のアレをするために、全ての市民はお布施をしなければならない。
そういうお布施なら納得できる。長寿命の電池ができた時点で資源の節約にもなるからと考えれば、人類の未来のための資源節約料金として考えれば、子孫の事まで考えていくってそういう事、近視眼的な行動ではなく。
近視眼的な行動をとらせないためには教育が重要になる。でも今理想には程遠い、退化している気配もなくはない。
ネットの言説をどこかで否定しきれない人々。自分と同世代にもいる。または全く興味のない人。
そういうことを考えても仕方ないんだけど、または独りよがりの考えなんだけど、
ただ、正解が見えているのに、そこへ向かわない気がして、モヤモヤする。