明治、洋画家

日本の本格的な洋画はアートではなく工学から始まってるんだという話があって目から鱗滝だよ

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記録や製図や図解、鮭の絵の解説を聞いて、当時のムーブメントから平成の理科の教科書などにもあった絵図柄にまで繋がってる様な気がしてきた。
または怪獣解剖図もある種工学的見地にあると言えるそれとかですよね。こういう所に過去と現在の地続き感があった。個人の感想。
島国の風習、習慣があるのかなとも思ってしまったね。しらんけどね。

水俣病の映画、

子供の時に見せられた水俣病の写真、このユージン・スミスさんが撮ったものだったかもしれんのよなぁ。 ユージンさんは楽しくて優しい人なんだっていいなぁ。

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半世紀たってまだ裁判が続いてる。 軽度でも明らかに水俣病だとわかっても認定されない現実というのはなんだろう。 科学的に判断できないのか、ただ時間が浪費されたのかな。 早く解決して。次はそうならないように経験値が活かされてほしいな。

「我が子を食らうサトゥルヌス」とふしぎの海のナディア

最近アマプラでナディアが見れるようになってたのでロマン溢れるSFっすね

所々で宇宙戦艦ヤマトとかサンダーバードとかナウシカのパロディのようなつまりエヴァ。 とはいってもスタッフそれぞれのアイデア持ち寄りなんでしょう。

それでも特徴が偏ってる監督なんだなと分かってきます。演出もその根本、原理的な部分は変わってないのではないかと。

今なら理解できる部分があった。

本題、

ガーゴイルと、その傀儡となったネオアトランティス皇帝が居ます。

その皇帝の部屋には「我が子を食らうサトゥルヌス」の絵が飾られていた。(フランシスコ・デ・ゴヤの作) ガーゴイルと皇帝がノーチラスを沈めた後の会話シーン、そのワンカットにそれなりにしっかりと映されてるので何かしらの意図はあるのだろうと。

絵に関するwikiから、

将来、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにしており

サトゥルヌスに関するwikiから、

神智学では、サートゥルヌスをサタンと同一視している。

日本語ではSaturn [sǽtərn] は「悪魔」の意味のサタン (Satan [séitn])と混同されることがあるが、綴りも発音も語源も異なる別語である。

以上の事と、 我が子を食らうサトゥルヌスはルーベンスも書いていたようだが、使われたのはゴヤの物。 ゴヤの方が不気味さを感じます。

その程度の所から、、、 ナディアのストーリーにどう解釈すればハマるのか? 皇帝の間なので皇帝由来の物だと捉えても良いが、 ストーリーから考えると、皇帝は自我の無い傀儡と言って過言でなく故に部屋を作ったのはガーゴイルであってその趣味が反映されていると捉えても良い。 または、演出意図に沿って作られている物だともいえる。 どう取るかによっても象徴が持つ意味合いが異なってくるのでなかなかね。

無理やり親子関係を当てはめるなら、 サトゥルヌスがネモ船長を象徴していて、ネモが我が子であるネオとナディアを食った(殺した)事を表しているのか? ネモ船長がタルテソス王国が破壊される引き金を引き、ネオはそこで死んでいたはずなので関係性としては一致しそうだ。 それだけのことかもしれないし、それ以外の解釈があるのか?

サトゥルヌスがガーゴイルなら、 ガーゴイルは悪魔みたいな位置にいる人物だけど、自分がサタンだとは思っていないハズで、神だと思ってるかもしれない。 サトゥルヌスは神だから間違いではないか、でも狂人として描かれたものは選ばないと思う。そして自戒をするような人物でもない。 そうそう皮肉が好きそうだね。傀儡とした皇帝の間にサトゥルヌスの絵を飾る。 ガーゴイルの性格なら、ライバルへの皮肉として飾っていると読み解くこともできるだろうか。 ありそうだな。

人物の象徴ではなく、事象の象徴であるとしたら? わからん

でも実際にはね大した意味はなかったりするんだよ。

こっちも、たまたまゴヤの絵とナディアの場面を同時期に見たからなんか考えようとしただけであって何か考えようというのもバカな話だぜー。

ネオ皇帝の塩沢兼人ぶりがなかなか渋いんですよね。

ギリギリ神話での名前はサトゥルヌス ローマ神話での名前はクロノス? 職業は農耕の神 魔法の金属アダマスで出来た鎌を使って収穫しているっぽい。

ゴヤの晩年、生活していた家の壁に描かれた壁画だった。 (ゴヤも聾を患ったが、その家が聾者の家と呼ばれるのは前に住んでいた住人が聾者だったから?) その後、家が取り壊されるか何かの折に壁からキャンバスに移され美術館に保存されるようになったと。

シビュラシステムというファンタジー

シビュラシステム

実際にあったら、楽になるとは思うんだけど、つまらない気がするんだよね。(汚染が無い。犯罪が無くなった状態を想定すると)

人類、人生の何が面白いかって言えば、人間が四苦八苦しながら生きていく所が面白いと思うんだよね。

シビュラによる人員の配置っていうのは合理性の権化のようなもので、生産量の部分も高効率になるだろうけど、 多くの人が幸せな一生を過ごしていく。安定して世代交代がすすむ。多分人工調整も機能している。シビュラシステムによってその社会が未来永劫滅ぶことなく永続化する。

人間という動物の特性を突き詰めて社会を完璧に最適化される。技術の更新があって適応してを繰り返して文明は発達していくだろうけどすべてが予定調和。みんなハッピー。

しかし、そういうオチが分かってる物はそそらない。完成されたものはただ存在しているだけでトレースする価値が無い。そこで個人は仕事して遊んで幸福な日常を費やす。

やはり人類は戦争をしてギリギリの綱渡りをしながらギリギリ生き延びていく方がドラマティックで面白がれると思う。

そういう局面に自分が置かれるのは嫌だけど、その方が面白いだろう。そこで誰が生き残るのかは、誰にも分からない努力も運も最終的には運命に支配される世界。

シビュラシステムによって人が幸福になるという事は、幸福になればその生き方に疑問など持つことは無いのだろう。

見方を変えると ニートを養うシステム、働いてるのでニートではないのだが、社会という名の実家の中に自動的に宛がわれたその中で一生を過ごすという。

自分で自分の居場所を作る楽しみを奪うシステムであると考えれば、これはアドバイス罪のようなものに近くて、Guilty

娯楽作品の方は様々なフックを用意して例外を発生させて楽しませてくれるわけですけども、それはそういうものなのでよし。

職域接種っていうのがあったけど、コネがあれば受けられるっておかしいよなー。

関連会社でいくつか余ってるから、希望者は打てるよー。 命の問題だけど、コネが有効になる。そういう状態は平等ではないよなぁ、サンデル教授の議論で出てきそうなネタだ。 実際に垣間見た時は驚いたよね。日本のウェットな所が出たかな。

ジェイン・ジェイコブスvsロバート・モーゼス ニューヨーク好きなら見ねばならない。いつか

都市の成り立ちとかも興味あるじゃん。歴史好きかどうかなのかもしれないけど。

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これ扱ってるのが都市ということで、パトレイバー劇場版第一作目で描かれたテーマ東京の変化ともリンクさせられそうな匂いがあるね。