美味しんぼのアンチテーゼ

何故「心」を主張するのか。

美味しんぼを見ていると、人の心にまつわる事を取り上げている。

ミスター味っ子でもOPソングの歌詞には「人の心」という一文が入っている。

料理と心は切っても切れない関係だったのか?

いや待て、どの物語も人の心とは切っても切れない関係だぞ、という当たり前のことだとして、美味しんぼではどうなのかという所ですはい。

考える切っ掛けは、働きたくないでござると思いながら見ていた美味しんぼ

多分、美味しんぼは経済合理主義に対するアンチテーゼ

お箸嫌いな女の子に、山岡は箸の良さを教えても作法なんてなくても食の良さは分かるというが、

海原雄山はその山岡に、作法の何たるかを箸の先が濡れている長さの違いを気づかせて 嗜める

馴染みのない者にしてみれば、それがいかほど重要な事なのか、それと心とどう繋がってるのかよくわからぬのだが、

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箸職人は曰く、料理人も命をかけているのだから私も箸に命をかけるのだという

箸が悪ければ料理を台無しにしてしまうから、箸職人が命がけの料理人に対して命がけで応えてやるということが、いったいどう繋がってるんだろうかと思わせつつ

そして、山岡たちがその箸で料理を食べながらスプーンやフォークとは違う箸の良さを語る。

金属のひんやり感や、金属自体にある味が 料理の邪魔をすることがある。

良い料理を良い箸で食べると料理人のおもてなし心もおいしさも伝わりやすくなる。

箸職人の命がけと言った事にも繋がっていく。

では作法は?

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食べる人も、料理人、箸職人にたいして感謝と尊敬の心を持つことなんだろうなと思いつつ

海原雄山が箸の先を見ろと言って気づかせようとして、山岡が気付くのは、

茶漬けを食べた後の箸の先端が1㎝濡れてるか4㎝濡れているかという事で、心を読み取るのか、

田舎者、下賤の者どもにはわからぬ気がしたぜ。

大昔この回を見て、ずっと真似して箸の先端を最小限に使って食べられるか自慢するような子供には、 作法を教えるならその心を教えよという雄山の意図や指摘されて猛省する山岡の苦悩は全く届いていないだろう。

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さて

美味しんぼが殊更心を強調するのは、出てくる料理とストーリーと絡めて考えれば、

東洋の軌跡と言わしめた高度経済成長とそれによる文化の破壊、そこに置かれた人々の心の変化。

経済合理性を追求する事で失われていく本物の味と人の心、

美味しんぼは料理を通じてそれを浮き彫りにしようとし、人の心とは何かを問おうとしていた。

豆腐を作る天然のニガリは海洋汚染でもう使えないという、それが説得力を持っていた時代。

輸入レモンは発がん性のある防カビ剤を使用しているから危険だ。

化学調味料で作られる味、まずい料理食えたもんじゃないとはっきり断言する海原と山岡の清々しさ。

その時代といえば

または、四日市ぜんそく光化学スモッグイタイイタイ病などの公害問題に苦しめられる市井の人々

血液製剤問題、カネミ油症などの、企業の傲慢、怠慢によって出てくる広く大きな被害、苦しめられる人々

そういう社会問題があった時代なので、

美味しんぼは時代に対してアンチテーゼを持った社会派漫画だという事も併せて考えないといけない。

と思った。

企業の合理主義は人間の感情とは相反する事が多いから。

次の時代で人間の感情に沿った形での企業活動なりが必要なんじゃないのって

循環型社会とサステナビリティもその内に入ると思う。

いや、それをやるのにもそこにいる人に沿ってやるべしと。

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放送禁止回について、
食品添加物の批判が問題にされたのだろうという予測があるが、 「お菓子と夢」の回を見るとお菓子に使われる食品添加物批判があるので、 食品添加物批判に関しては問題ないのかなと、この回だけ見過ごされるという事もないだろう。 何が問題で放送されなくなったのかはやはり決めた人に聞くしか分からないだろうけど、 勿体なく残念に思う。