人間の生き死にが不思議。

人間が生まれてから、死ぬ。

それが当たり前なんだけど、どうにも不思議な魅力がある。

最初に考えたのは幼稚園卒業程度の頃か、ばっちゃんが死んだら悲しいなと思ってた。

・・・

いつぞや、巨大なプレスにはまって刹那の瞬間にミンチにされてしまう映像を見た(誇張)

毎日楽しく日々を生きてて、ある日突然の事故で一瞬でオブジェクトと化してしまう。それってなんなんや?

最近、道路で煎餅になっているオブジェクトを見た、車に潰されたらしいタイヤの跡が垣間見える。
同じ色で同じぐらいの大きさの小鳥(雛鳥?)がすぐそばに立っている。
オブジェクトの正体がわかった。
それで色々刺激された。

生きてる時と死んでる時の状態がすぐ間近にあって、、一瞬で変わってる。 その小鳥は訳も分からず生まれてきて、世界を感じ取っていたのだろう。でもその1個体は生まれて1ヶ月と経たず一瞬で煎餅になって、その意識は永遠に消滅した。

小鳥も人間も同じだ、事故か寿命かも関係ない。

生まれたら死ぬしかない。意識も消える。

ただ生きている瞬間だけ、何か意識が存在していて世界を感じ取っている。

生きるってなんなんや?自分て一体なんなんや?っていうのは思春期に済ませておきなさい。( ͡° ͜ʖ ͡°)

生きてご飯食べて働いて本読んで映画見て創作してなんかやってる事、なんの意味もない。

なんの意味もないとは思うけど、かと行って全てを捨てられるわけでもない。この執着とはなんなのか?

死ぬのが決まってるのに、パソコン買ったりロード買ったり、本を捨てられなかったりする。

死ぬのが分かってるし死ぬまでに見返すこともないだろう(見返すかもしれないのだ)本を捨てられないというのはどういう事か?

人間のというか、僕や貴方の行動が謎過ぎる。

僕も家族も友達も順番に死んでいく訳だが、同じくらい産み育てていくこともあるかもしれない。

でもその家族も友達も新しく生まれてきた子らも全部自分と同じものでやはり死ぬ。

で、それらの人も同じように本が捨てられないとか、執着なく捨てるやつとかいるんだけど、全く無意味な事やってる。

全く無意味な事をやってるやつが集まって、昔より便利になったねとかどうでもいい事をさも楽しそうに語ってる。やばいこいつら今この瞬間だけを生きてる。

いや、集まって、家を建てて一緒に働いてその場所を作り変えていく。食べ物を取って運んでくる。

人間てなんか、同じ人間に対して特別な意識が働くのよね、

他の生物は食べる美味しく食べるけど、人間は食べられない、いや飢えたら食べると思うけど。まぁ食べるんだけど最後に食べる事になるぐらいには特別な位置。

もし僕が、煎餅のそばにいた仲間の小鳥だったら何を考えているのか。(煎餅になってる方は何も考えられないので省略)

もしお友達と話しているときに、そのお友達が一瞬でぺったんこの煎餅オブジェクトになったら、ものの数秒でそうなったら一瞬笑っちゃいますよね。

その後じわじわきて思い返すたび悲しくなる。そいつが感じていた世界っていうのも永遠に消えてしまって、悲しいのと同じぐらい、そいつはなんのために生きてたんだろうなって答えのない事を考える。

人間てべつに、ただの生物というか「物質」であって破壊可能オブジェクトなんですよ、食料が取れなくなれば姥捨山にも人柱にもして「口減らし」をして生きてきたのは多分事実。

いま生きられてる僕らってのは食料が十分に確保できているから生きられているに過ぎない、そこそこわがままな暮らし方もできてよかったねっていう。

それがなければ、ばあさんを山に運んだり、子供を殺して口減らしをしたり、赤子に先天性異常があればやはり殺したり、そういう世界と隣り合わせている。

そんな食料がない酷な世界だったら、死んでいくやつのことより生き残ったやつとよりよく生きていくことになる、その過酷な世界だと人間を殺さないと全体が死ぬから、口減らしをするのが当たり前の世界で、人間は人間を殺しても日々を生きていくのが普通なのか、って事を考えたりすると。

物質だから、 他の動物を見てれば、そりゃ生きて死んでの繰り返しっていうのは分かるから、文明だの社会だの産業革命だの宇宙に行ったとしても、根本的に他の動物と違わないから、

生きていても虚しいよね。ネトゲも本も映画も死ぬまでの暇つぶしやぞ。

週40時間も働きたくないぜってのが分かった。