SHIROBAKO 劇場版

このSHIROBAKOは群像劇である。 あれだけたくさんのキャラクターが登場して映画としてブレずに一貫しているのは、殆ど全てキーインシデントに繋がっているからだ。

この映画のキーインシデントは劇場アニメの制作だ。

登場人物はそれぞれに葛藤を抱えながら劇場アニメを制作していく。

描かれだすキャラクターが増えるという事は各キャラクターのエピソードに尺が割り当てられてしまって映画のテーマが掘り下げられなくなることが多い。

あのキャラも出せ、このキャラも出せと言われてなあなあで出してしまうとただのファンサービスだけで終わってしまうのだ。

それはそれでいいのだが、それはテレビスペシャルの延長であって映画になっているとは言い難い。ファンしか楽しめない。。。

映画SHIROBAKOは違う。

劇場アニメの制作を通していくことで説得力を増している。アニメーション制作には多数の工程があって、そこに大勢の人が関わっている。

その仕事と向き合う人々を描いてちゃんとした群像劇になっているのだ。

そうこの水島監督といえば昔に群像劇をやりたいと地球防衛企業ダイガードを作り、企業という中でサラリーマン達の葛藤を描いていたことを思い出したんだが、 ダイガードは水島精二監督なので水島監督違いだ。まさか似ている事をやるとは思わなかった。(似てるか?似て非なるものだろう)

テレビシリーズのSHIROBAKOを見てた時は全く考えもしなかったけど、考えてみればダイガードって面白いことをやってたよなと、 当時は退屈気味に見てた気がするんだけど今なら監督が伝えたかったことが分かるかもしれないと思う。あれもいいものだ。