ジョーカー・ゲームを一気見して、、、

ジョーカー・ゲーム
帰省して実家で録画していたものを全話一気に見ました。
ネタバレはあります。

昭和12年頃の日本のスパイを主人公に描いた作品でした。
当時の日本帝国陸軍の内部に組織されたスパイ組織としての「D機関」に所属するスパイたちの物語です。
アニメの原作小説はスパイ・ミステリとしてかなり人気のよう。

『ジョーカー・ゲーム』シリーズ 柳広司(やなぎこうじ)|角川書店|KADOKAWA

今回は、アニメの第8話、9話の前後編からなる
「ダブル・ジョーカー」を見ていて思ったことのメモです。
 このジョーカー・ゲームと言う作品は、ミステリとは別の角度から、
アウトサイダーの物語として捉えて見ることもできるんじゃないかなと思いました。

日本帝国陸軍とスパイ達「D機関」の関係,,,
お国のためであれば死んでも構わない、
義は重く命は軽い、という考えが違和感なく語られる時代(?)
そこにあって、D機関では平時において死人というのは注目を集めるから、自分も含めて死人を出してはいけないという。
思想信条より合理性を追求して行動する、そのような思想の違いがあって、
D機関と日帝陸軍を並べたときに、陸軍の思想に共感する現代人はまずいないと思います。
(キャラクタやその時代の物語として感情移入の一つとしてその思想に共感することはあるとしても。)

第1話で連絡係として配属された陸軍士官はD機関のスパイ達に対して「卑怯」だと非難して、それで勝って楽しいかと問う。
D機関と軍人の埋めがたい思想の違いがこのように示されている。
(その佐久間さんも好きですけどね。)

8、9話のダブル・ジョーカーでは
陸軍内に新設されたスパイ組織、通称"風機関"がD機関と競争する。
そしてその結末はD機関によって風機関が無能であると詳らかにして幕を閉じる形となるわけですが

ここで、D機関の創設者にしてスパイマスターの結城中佐がいかに魅力的な事か!

 閑話休題

ジョーカー・ゲームアウトサイダーの物語なのか?

D機関の結城中佐は「天保銭は使えない」と言う。
陸軍大学校の卒業生に送られる徽章について、当時は天保銭と通称されていたらしい。
陸軍大学校とはつまり当時のエリートであり当時のアカデミックであったわけですよね。
ここから陸軍の上層部をアカデミック側とすると、
そうではないD機関は8人の地方出身者で構成されており、
アウトサイダー側という風に見る事ができる。

 陸軍の上層部は軍の行動を左右する情報を扱うのが地方出身者である事が信用できないらしい、
つまり差別があるわけだ。同族以外は信用できないという。
そして情報の重要性を理解しているので、 信頼できるスパイの組織として同族で構成される"風機関"を設立しました。
そして、D機関の手の上で泳いでしまう様が描かれました。
これが「アウトサイダーが異能を使って権力と戦う」物語なのかなと考え始めたきっかけです。

アウトサイダーが異能をもって活躍する物語は古くから人気があると思います。
例えば忍者系の作品とか、
「サスケ」、「あずみ」、
アウトサイダーで異能といえば、
攻殻機動隊」とも近いかもしれません。
空の境界」も当てはまる。

スパイとは表に出てはいけない、そもそもアウトサイダーよりの存在だとすれば、
ことさら言う事ではないかもしれないんだけど、
このジョーカー・ゲームとても面白くて、でも何が面白いのか考えていて思い浮かんだことの一つが
少数精鋭のアウトサイダーが、主流派やアカデミックとは異なる価値観を持ちながら、異能を使って活躍していく。
そんな側面があり、これが面白くて売れる要因の一つではあるよなと、考えていました。

「スパイ戦にハラハラしながら見てます」
といった感想がある通り、 味方、外の敵、内部の敵、協力者、謎と明かされる真相。
誰がジョーカーで、どんな手口で、といったスパイでミステリな所は面白いし。
アニメの方は当時の街並みや人間の様子を描いていて凄く良い作品だと思いです。
結城中佐が自己防衛のために仕掛けたトラップとか最高です。

蛇足、
昔に読んだ"空の境界"と言う作品の後書きに、
山窩小説を参考に出しながら空の境界がどういう立ち位置にあるのか
といった事が語られていた事を同時に思い出しました。
権力者と戦うアウトサイダーが支持を得るのは読み手がそういう物語を求めている側面ががあり
そういった物語の歴史を辿ると山窩小説シリーズも出てくるという。
 そして山窩というのは実際に存在していた人々で、
正体が分からない、というか、 とある側から見ると一線を画した存在であったので
誇張や、脚色をしてフィクションに組み込みやすい存在だったみたいなんですね。
その実際の山窩について書かれた物は少ないらしいですが
「幻の漂泊民・サンカ」は良書だと思います。