1950年代アメリカの公民権運動(雑

アメリカの歴史で実際に二級市民と分離されていた

なんとなく時代 高速道路の普及、35年を要したインターステートハイウェイは現代でも拡張中。 海軍のある設備担当者は家業に戻ってプレハブ工法を活用した住宅地の大量生産。 帰還兵とともにベビーブームが到来、郊外にマイホームを求める。 核の脅威、亀のバートン、公共シェルター、赤狩り

公共教育

最高裁で公教育の分離を否定された。 そういう判決が出るのも出たんだよねすごいね。

リトルロックの公立高校に九人の黒人が入学。

フォーバス知事、 生徒の登校を妨害するため州兵を出動させる。 公立高校の人種統合を認めない。 ↓ 連邦政府が州に介入、知事から州兵の指揮権を取り上げる。 101空挺師団の1200人を派遣して生徒の護衛、学年末まで毎日継続。

翌年、知事はリトルロックのすべての公立高校を閉鎖。

その後、1959年人種統合校として再開された。

酷い事件

14歳エメット・ティル少年。
ミシシッピ州親戚の家に遊びにきていた。
21歳の白人女性に口笛を吹いてちょっかいを出した。

黒人と白人の交流は、シカゴではなんでもないことでもミシシッピではそうではなかった。
少年は二人の白人にさらわれリンチされた上射殺されて川に投げられたらしい。

葬儀、変わり果てたエメットの姿。 遺体は敢えて見られるようにした。 黒人向け雑誌「ジェット」と新聞「シカゴ・ディフェンダー」に写真が掲載全米に衝撃を、、、。

ミシシッピのサムナーで殺害の罪に問われたロイブライアントと、JWマイラムの裁判は全米に中継される。 (アメリカは裁判は公開するものという法があるのでTVも入る。日本も同じ筈だがテレビカメラは締め出される、なぜか?) 陪審員は全員白人で、1時間の審議で無罪が確定した。

抵抗

アラバマモンゴメリーで、ローザはバスに乗って席に座っていた。そこへ白人が乗ってきた、しかし座る席がなかったので運転手から席を立つよう言われたが、しかし席を譲らなかった。 エメット・ティルのことを思うと動けなかったと後に証言した。 「人種隔離法」違反の罪で罰金10ドル。 モンゴメリに住む黒人たちは人種隔離に抗議 バスに乗らない。遠い距離を歩いて出勤した。 一年続くボイコットでモンゴメリのバス会社は経営破綻に直面。

バス人種隔離は違憲と判決が出る、

この時の人間の差別感覚ってなんだろうな、誰にでもあるのは確定、
誰にでもあるので、現代でもある、ないのか? 文明の発展とともに、本当に良くなってきているのかもしれないが、人の心根からは消えない。 教育が和らげるだろう。
多分、差別は時代に合わせて形を変えて存在する。

その時代に合わせて形を変えているから、人は気づかないふりができて、考えをそらせる、胸を張って堂々と生きられるわけだ。

あーやだやだ

FGO 絶対魔獣戦線バビロニア 素敵やん

昨今、ウィルスに踊らされて在宅勤務が流行したおかげでゆったり電車に乗れるようになったりならなかったり、弊社(w)も在宅に乗り出したり、人の書いたバグに踊らされたりと、踊らせたりと何かと毎日普通に生きているわけですが、

絶対魔獣戦線バビロニア、めちゃくちゃ面白いですね!金かかってるとやりたい事がやれますね。

そしてFateらしくなってるような気がしました。原典様の方ではどうなってるか分からないですが。

結局どういうアニメだったのかっていうと、人間大好き人類賛歌物語だったというわけですよ。

その世界の主軸となるギルガメッシュの人となりとか作者の考える王様像みたいなのがあってそういうとこもおもろいよね。

賢王 ギルガメッシュ

大災害がやってきて終わるらし、ほう、なるほどって言ってな、そりゃ分かってしまったもんは仕方ない
けど、そこどうにもできないのは分かってんけど、わい王様だから人類に責任を持たなあかんねん
王様って今だけやないねん、イマココのシュメールだけの問題やないねん、人類やねん
わいの寿命も尽きるけどそういう責任はあるねんな、
人類に対する責任ってなんやってんけど、まぁ血だけで繋がっていくわけやないんやと、
記憶でええんやと、抵抗してく生き様ってのを後世に残して我々が生き残ってくんやから、みんな頑張ろう。
みたいな、
人類の礎を築いてるやんワレ

ほんで最後に王様こういうねん、不老不死の秘宝を持ち帰ったんだけどうっかり蛇に盗まれた。
人間の寿命を超えてまで探し出してきたもんやのにな、そんで怒るより、もうおかしくなってな腹筋崩壊してしまったわ。
ほんま人間てなぁ難儀なもんやで、飯食って死んでくだけなんやけども、
みんなそんなこと考えておらへん明日のことばっかり考えておんねん、

まぁ難しいことあらへん、お前らはそこに立っているだけで正しっちゅうことや。
生きるっちゅうのはいいもんやで大事にせなな。

まぁアニメってなんかそういう理想家に偏ってく感じのは多いよね。 そういうもんだ。

そして、あと番組に「へんたつ」って変なアニメも見せられてめでたしめでたしっちゅうわけや。

ゴジラ

そうそう、Fateらしさっていうと、茄子きのこさんの考える面白いゲームってあったわけじゃないですか、 Fateより前からそうだって感じなんだけど、パラメータの高低だけじゃなくて、概念で勝つみたいな、、。 ドラクエゾーマと戦うときにただ戦っても勝てないんだけど、ゾーマ特効アイテムで弱体化させて勝てるようになる。 でもこれが玉とかそういうアイテムじゃなくて、概念を持ちよらせてバトルロワイヤルで戦わせたら、本当は弱い奴でも勝てるようになると面白い。

勝てない奴も倒せるようになる道を探る、全員が相手を倒す方法を考えるのと倒されないように考えてく、
この概念が割と強力に設定されてるもので、神性なものには神性をぶつけるしかないとかなったらそうするしかないん。 どんだけ強い神性があっても冥界の女神には勝てないという。それ歴史的経緯も理由になってるのな。 冥界は死者の世界で〜、
メソポタミアのシュメール文明は神代の世界なので「冥界」と地続きになってるっちゅう設定がある、
 これどういうことかっちゅうと、日本の神話でも似たようなのがあって、アレアレなんだっけ、死んだ妻を連れ戻しに行った夫が、あの世で妻を見つけて帰ろうと説得したの、妻はOKってじゃ戻るまで振り返るらないでねってお願いされて、夫は了解したのに途中で振り返ってしまって、見たら妻はすんごい化け物になってて、夫は逃げだすし、約束破られたし妻は怒って追いかけていって、それで夫が冥界への穴を塞いでしまう。それ以降あの世を行ったり来たりできなくなりましたちゃんちゃん。
っていう日本の古いお話。これと似たような設定よ。

で最終ボスのティアマトは死という概念がない完全生物(つまり平成ゴジラだよ)。
不死性があるので奈落の底に落とすと不死性が相殺されるっていう作戦。

ぐぅ、しかし作戦のためには時間があと1日足りない、、、。よし、足止め作戦だーっていくほんとテンプレっぽいけど、その時間稼ぎをつかって、2クールの中で積み上げて溜め込んできたキャラの出番を最大出力で放出するのカタルシスぱねぇからやっちゃう、可能なTVシリーズってやっぱ分かりみが深い。(映画ではできない)

で、そのアクションシーンとドラマの融合っちゅうのは流石に難しいんだけど、絵力で引っ張っちゃうのでよしといえばよし。

このゴジラの足止めで思い出したマイベストアニメのワンシーン。敵の発掘兵器「ベリファ」超巨大ロボ。これを止めるために発掘爆弾をロボに括り付けて若い兵士を十数人特攻させる。だが下半身しか破壊できず、なお腕を使って進んでくる。行軍速度は落とせましたが、他に打つ手はありません到達は最早時間の問題ですー。っていうの。

燃えるシチュエーションの形ってのはある程度決まってるんすかね。って感じますね。

ロマンチックやね

他に、キャラクターの存在意義とか理由がやっぱりFateで良いよね。牛若も、三女神もジャガーマンも、
例えば、意味不明な魔術師マーリンがこの物語に介入する理由が語られるけど、そういうのもFateっぽい理屈感じるよね。
まず設定が、どこかにある理想郷で人類の終わりまで生き続けて、現在を見続けている。
そして、FGOの主人公に対して自分と似ているが異なる所が関わる理由なんだと。
マーリンは人が紡ぐ物語をただ見るのが好きだと言う。 しかし同様であるこっちの主人公はFGOの各特異点を渡ってきている、つまるところ各特異点として存在する各世界で物語に介入して形を変えている存在、と定義されるわけだ。
メタ視点も重ねている。

10年くらい前にメタ流行ってるよねーっていう話を誰かがしてたが、まぁそういうことだ。

てことで、絶対魔獣戦線バビロニアはいいぞー。

ニュースとカタカナ

‪新しい事件が起こるたびに聞いたことのない用語が出てくる症候群。

‪日本語なら直感的に分かるので家族や周りに説明する必要もないという‬

カタカナやめてほしーんだよなー

なんでカタカナ使うんだろう???

対応する日本語がないとも思えないが…

日本語のメンテナンスにも少子化の影響が???

言ってるそばからカタカナ(笑

求められる、言葉のセンス。

ただ単にたくさんの共感が集まるだけではだめなのだ。というと理想が高すぎる問題になるが。

本質と一致していて、歴史的連続性があると最高だなと。

コロナ流行病と在宅勤務とトイレットペーパー

近頃世間ではコロナっちゅう流行病でてんやわんやしてらい。

その中で目に留まった事件がいくつかあるが、

1つはこぞって上がってくる在宅勤務のご報告

1つはトイレットペーパーやティッシュペーパーが売り切れること。

在宅勤務の方だが、こりゃリモートワークやテレワークやらいろんな呼び方されてるぜい。
この在宅勤務自体は結構なことなんだが、如何せん聞いてもないのに自分のことを話してくるのはいかにもおじさんみたいな反応だぜい。(偏見)
各社、ブロガーが流行りに乗ってこぞって報告を上げてくるのはつまりおじさんっちゅうわけや。
それもまぁいつものことじゃい。

人間てのは結局外来からの圧力がないと変化しないというこっちゃな。
何が言いたいかというと、
新型コロナの影響で各社各人が在宅勤務を奨励し出した。 これはやっぱり外圧で動かされたって事なんすよ。黒船来航的な感じで。

僕はなぜこんなことを考えてしまうのか、
在宅勤務なんざ、こんなことが起こる前から、例えばインフルエンザが流行り出したという事でも実行に移せたはずだろうと考えてる。
(ここでの話はインフルエンザとコロナの脅威を比較することじゃないからな!)
または、在宅勤務という概念が存在した時点で研究して実行に移せたはずだと考える。 先行研究を見て在宅勤務は効率が悪いというのは、、、多分にそういうケースはあるだろうが。
SNSでの呟きで見かけて非常に納得感あったのは、在宅で効率が下がらないなら東大に合格してるんだと、そりゃまぁ納得できるわけだ、
まぁ、やろうと思えば他社に先駆けて出来たはずでそれを売り文句にも出来てる。
流行病はある種の人にとってはある意味で天恵であり、大義を得て実験できる。

だから、在宅勤務への切り替えなんてぇのは、号令出して瞬間的に舵を切れる物事なのだ(社内ITが悲鳴とかそういう話はとりあえず別の話として)、 それ以前からやれるだろうにやらなかったのは何故か?  そして、なぜ今回は振り切ったのか?
=>流行病の防疫と言う大義と、虎視眈々と機会を狙っていたオフィスワーカーがいる(うちのかいしゃにもそんざいする)。
変化を嫌うとかそう言う一言で表せるものじゃ無いと思う、みんなが一斉に動くというのもあるとおもう、後に続けって言うね、ださいんだけど、やっぱり人は簡単な方に群がってくるし、社会性が強いと最初に突拍子も無いことはやりたくないという抵抗が強い人もいる。

そんな 人間の非合理的な行動がとても愛おしいと思えるのだ。
いつの世にもある人の反応なのだ。

人と社会が実際に動きだすタイミングが揃ったということ。
(実際に動いたのが一部だとはいえども、一斉に動いた。電車も空いた感があった。)
社会の趨勢、人の認識、技術などなど。
ネットの使い方を覚えて、クラウドの概念が広がっていて、光通信網も普及、働きたくない意識も共有されていた。 人々の底で燻っていた感情が吹き出すキッカケが流行病であった。
吹き出した感情は行動になって現れた、行動はヒトからヒトへ伝染していくらしい。

この事件がまた企業のPRの場にもされてしまうのは、実に逞しい事だ。
私個人的には見ていて虚しくなるが、これは私の性格だから仕方がない。

これが人の行動であるならデマゴーグに踊らされる人の行動パターンと類似している...と、透けて見えてこないだろうか?

コロナはデマではない、トイレットペーパーが無くなるのはデマだ、 だから全く違うと直感する人もいるかもしれないが、考えているポイントはそこじゃない。

人間は不安にかられれば解消するために行動するし、 誰の情報を信じるかといえば身近な人の情報を一番信用している。 そういう事情、人間の心理が企業でも発揮されている。 それが今の人間の限界なのかなとか思ったり思わなかったり。

人はやっぱり周りと協調・連動して動く生き物だってことで、まずそこを認めてやるしか無いんだな、
紙がなくなると周りが走り出したら追従してしまうのが人間、周りが在宅し始めたら負けじと在宅し始めちゃうのが人間、だから結局ね追従してる側って考えて行動してないんだよ。それで良いんだよ!がんばれ。 紙は一応デマだからやめてくださいというカウンターも起きてくるので収束はするだろうが。

コロナにかかるかもしれない、感染拡大を防ごう、政府発表なるべく集まらないように、でも経済は動かしたい、止まると困るから働いて欲しい。電車つらい。着々と準備していたことがブログのネタにもなり宣伝にもなる。 ここで感情や利害が色々と一致してくる。

さて、在宅勤務の動きは日本全国で起きているはずがない。(はずがないか?) これはどの地方で起きている現象なのだろうか??? それとも全国的な動きなのか??? ネットはスーパーフラットだ、どの情報も等価になるから全くわからん。(重み付けができてると思うのは呑気じゃないか?でも評価経済だもんなぁ)

また、在宅勤務は今後継続されるのだろうか? 一過性のもので終わる可能性もある、 事後に報告が上がってくるだろう。 能率が上がった、変化なし、下がった。という報告が。 彼らの報告が楽しみだ...。

うちの会社も一部の社員は在宅が可能になったのだが、3月だけの臨時措置になるだろう。 他の会社が継続して恒常的に電車が空いてくれるのはありがたいが...

もしかしたら在宅勤務が爆発的に増加することで未婚率が現象するかもしれない、、、、、、

さりとて、在宅勤務になった意味を考えもせずただ無邪気にニャンコと戯れて喜んでいる人がほとんどなのだろうか?
そりゃいち社員は考えんわいな、考える意味がない。降りかかる状況をゲームとして楽しむのが良い人生ってもんだろう。

在宅が良いのか悪いのか、
人々は何を基準に良し悪し考えるのだろうか?
仕事の能率とか言うけどさ、実はそれは関係ないんじゃないのか、とか。騙されてる。
まぁ能率面でいえば直接対話に勝るコミュニケは無いだろう、協力しあうのもその場にいた方が早い、互いのミスに気づくのも早い、
だが普段からそう言う働きをしないでそこまで能率を上げていないなら在宅でも変わらないだろう...。 教育面でもやはり
とは言えどちらでも良いんだよ結局世の中ってのはなるようになるんだから。
なっちまった世の中をゲーム化して楽しむ他なし。庶民だからな。
(かといって民主主義が壊れるのは困る壊れてから同じことは言えないつれぇー)

紙問題についてどう思うか、

踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損損ってとこですな。

SNSの呟きもいつも通りですな。
各種の立場から地獄から怨嗟の声が上がってくる、出どころが各種から上がってくるからおもしれー、読んでるとイガイガしてくるんだが「人間」って感じイイ
しかし紙はやばかったぜ、こんな閑静な住宅街にあるスーパーでも棚がスカスカになっていた。
去年買い足しておいて良かったのだ、びびるのだ......。
一人暮らしは消費量が少ないからね!18ロール買っておけば長期安泰だもんね。
会社のロールが無くなる可能性は考えていなかったが・・・。(無くなってはいない)

SHIROBAKO 劇場版

このSHIROBAKOは群像劇である。 あれだけたくさんのキャラクターが登場して映画としてブレずに一貫しているのは、殆ど全てキーインシデントに繋がっているからだ。

この映画のキーインシデントは劇場アニメの制作だ。

登場人物はそれぞれに葛藤を抱えながら劇場アニメを制作していく。

描かれだすキャラクターが増えるという事は各キャラクターのエピソードに尺が割り当てられてしまって映画のテーマが掘り下げられなくなることが多い。

あのキャラも出せ、このキャラも出せと言われてなあなあで出してしまうとただのファンサービスだけで終わってしまうのだ。

それはそれでいいのだが、それはテレビスペシャルの延長であって映画になっているとは言い難い。ファンしか楽しめない。。。

映画SHIROBAKOは違う。

劇場アニメの制作を通していくことで説得力を増している。アニメーション制作には多数の工程があって、そこに大勢の人が関わっている。

その仕事と向き合う人々を描いてちゃんとした群像劇になっているのだ。

そうこの水島監督といえば昔に群像劇をやりたいと地球防衛企業ダイガードを作り、企業という中でサラリーマン達の葛藤を描いていたことを思い出したんだが、 ダイガードは水島精二監督なので水島監督違いだ。まさか似ている事をやるとは思わなかった。(似てるか?似て非なるものだろう)

テレビシリーズのSHIROBAKOを見てた時は全く考えもしなかったけど、考えてみればダイガードって面白いことをやってたよなと、 当時は退屈気味に見てた気がするんだけど今なら監督が伝えたかったことが分かるかもしれないと思う。あれもいいものだ。

メイドインアビスこわい

劇場版「メイドインアビス」-深き魂の黎明- 公式サイト

個人的には映画見れて嬉しい、生命の賛歌でもあり、 生死が隣り合わせの現世と希望というのをよく描いてると思うんだ。 分かんないけど。

だがしかし、

やっぱり自分も苦手な物というのはあるわけで、 そっちの系も分かるとはいえ、

心身の自由を奪われる、人体をもがれる
表現的に一定レベルを超えた物を公でやられるというのが苦手なのかな、アングラでやるなら安心だ。

演出力もハイレベル、絵的なリアリティも高いので、、、

その上であの残酷描写である、

皆、こんなの見て本当に大丈夫なのかとまたもや余計なことを考えてしまうのだが、一応R指定はついていたのだった。

意識を残したまま人体欠損箱詰め、これはヤバイ。

生きる充実と希望という素晴らしいテーマを完成度も高くやっておりますので、
それが、穿った見方をすれば残酷描写やるための言い訳になってるんじゃないかとか
とまぁ、余計なことを考えながら見てしまうわけですね。

隣国の業界の倫理だって人体欠損だめらしい、スターウォーズでは片手が飛んだけどディズニーはやらないと思う。 だから、それとこれを比べたところでどうしたって感じだが、

それはアングラでやるものだろう?
という考えが出てきてしまうのだ。
アングラなら安心。 R指定なら安心ではないなぁと思ったのは、 R指定付いてるの知らなかったもん。
いやそういうジャンルの物だってのは分かって見に行ってるけど。

ハガレンのニーナも残酷だけど残酷描写には行ってない

まぁなんだ、
自分が特に恐ろしいと思ってる部類の残酷描写だったから色々変な事を考えてしまうんだね。 それが人間によって成されるというのも恐ろしいね、人間て恐ろしいんだねってのは、
そもそも自他共に顧みても反論できない所があるからなのじゃないだろうか。 鏡を見せられてるような風に思う人いるのかな??

まぁなんだ、
恐ろしいと思いつつその一方で、デモなんとかっていうのをプレイしているわけだから、よくそんなことを言えるものだと思われてしまうわけですが。
アングラでやる分にはいいんだ。会員制にして身内で楽しむとかそういうジャンルなのではないでしょうか。 きっと。多分。

バトルロワイアルは物議をかもしたけど実写だし、特に臓物は出ないし。どことなく滑稽に見えたのですけど。まぁ人間同士でやり合うのって怖いのかもね。 クリーチャーに食われるなら、納得できる所も、 同じ人間の作為によってやられる方がおそろしいよね。 キノやエルメスもそんなことを言ってたんだからわかるだろう

もう一つ思ったのは、歳を重ねると子供を信じられなくなるのかもしれない、子供だって毒に耐えられるようにならなくちゃいけない、毒抜きしたものばかり食べさせたら変な毒に当たっちゃうかもしれない。
しかし、それは別な話だ。

米国の一部地域でジョーカーの上映で警備強化されたってのも、ある層にいる人間からみたら本当にやられかねないという意識の表れがあったのだろう。 きっとなんか自覚してる所があるのかもしれなくて、それで過剰に反応させられちゃうみたいな人間の行動パターン。