遺伝子と人格について物思いに耽る
# 人の体には、それぞれ個人毎に固有の人格が宿っているらしいです。(人格や意識)
結論:人の人格は遺伝子で決まる。
なぜそう考えたか:
まずは、
人の人格を形成する大きな要素として脳が果たす役割が大きい事。
脳の形は動物毎に大体決まっている。 人間であれば人間の脳と分かる程度には、他の動物と比較したとき形のパターンが浮かび上がってくる。
形が似ているということは、中身も大体似ていると考えてもいいのかもしれない。
中身というのはニューロンのネットワークのマップとかまで含めて。
それも、前頭葉、側頭葉などなど脳の各部位の役割分担も大方決まっているらしい事。
生物に脳が発生して、出来上がる脳が、動物の種類毎に分類可能になる一定のパターンに収束しているという事。
それは設計図に基づいて同じ物が作られているからだとすると。
その設計図に当たる物は遺伝子なのだろうと。
そうして出来上がったそれぞれの人間の性格がある一定のパターンの範囲内に収束しているのだとすれば。
性格も遺伝子によって決まっている。
言うまでもなく生後に生きながら常々得ている経験によって性格は変化していく。(誤解されないように、)
その変化の方向性も遺伝子による部分があるとしていいんじゃないかなとか考えてました。
(反応を受けて、何かを選択する時にその結果は脳の造りに左右されるのだと思ったので。)
# そもそもなぜそんなことを考えたか: それが重要だったんですけど、途中で寝て醒めたら、忘れてました。
社会の中で生きる人々を見ると、個人毎に異なる人格ではあるものの、人々の人格のパターンはある一定の範囲内に収まっているように思えて、 その事が不思議でした。
社会性、人々のコミュニティには常識が形成されていて、それを逸脱する人が少ないのだとすれば、人々が似た者同士だからじゃないでしょうか。
動物でも、同じ種類の動物であれば同じような行動パターンを取っている事を知っています。
これらの仕組みや差異を認識する事で、もっと面白い社会や人生が開けるのかなとか思いました。
# もしも、その脳が形成されるときに秩序や規則がなかったとしたら、人々は秩序だった社会を形成できなかったかもしれないし、互いに言葉を交わすことはなかったかもしれない。 それは自然淘汰されてきたからなんでしょうか。
現代の私たちは同じ人間だけど、他人として一つの社会の中に共存して協力していて、
たまに人類として大きな成果を上げてくることができたのかどうか。
コミュニケーションできるから協力できる。
それはポジティブなんだけど、ネガティブなことも同様にあって、
私が色々悩んだりして苦しんでいるのも、遺伝子に起因するのかと思うと忌々しいDNA配列めぇーなどと思うのであった。
パターンの例えば、褒められたら嬉しいとか、約束は守る、都合が悪くなったら嘘をつくとか、様々な人間に共通するパターンを想像できる。
自分の持っている一番得意なパターンが重宝されるところに自分の身を置く事がいちばんの幸せ。
たくさん頑張ってきても、ストレスを感じて、うまく行ってないと思える、やっぱり向いてないことをやってるのかもしれないなとか。
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