ゲーマーズを一気見したけど特に関係ないゲームの思い出話。

ブコメが案外面白くて好きな物もあったということを認めようと、そういうことを書きたいと思ったが、それはまた別の話にしよう。

12話まで見ていたのである。  現在のゲームシーンについて一家言を語る回となっていました。 ゲームって値段が高すぎない?とか無駄じゃない?阿漕な商売じゃない?ってツッコミに向き合っていくという。
 その中で語られた一つのエピソードで。 子供の頃親が間違って買ってきたソフトがお高いのにクソゲーでという話が出てきて、似たような思い出が浮かんできます。
それは誕生日かクリスマスに買ってもらったのだろうか「フォーメーションZ」というゲームソフトで、遊んでみても確かに詰まるかつまらないかでいうとつまらない、なんかよくわからないけど、とりあえず遊んでいました。
横スクロールシューティング。ロボを操作して出てくる敵を撃って行く。変形して空を飛ぶがエネルギーがなくなると飛べなくなるので気をつけよう。そして空中戦ステージと陸上と繰り返して行く感じでしょうか?

難しくて先に進めなかったので先の事はよくわかりません。
最終的に何か得る物があったかというと無かったのだと思います。 スーパーマリオブラザーズとかグラディウスとかロックマンとかマクロスもやっぱり面白いんだよなって事を悟るばかり。 買ってもらった親にもまさか、つまらないと言ってはならないと思いとりあえず遊んでいた。
たまに遊んでおかないと親に悪いかなと思ってスイッチを入れたこともあったような気がする。(我ながらおかしな話ですね。)
しかし、思い出すと同時に、親が子供のために当時から高かったゲームソフトを買ってくれたという事について、しんみりしてしまいました。
どれにしようかとか選んで買ってきたと思うんですよね。どういう基準だったのか、お店の人に勧められたのか、イラストの見た目とかが子供が好きそうだと思ったのか、何かあったとは思うんですけどね、そうしてコレが良いだろうと思った物を選んで買ってきてくれたという事を想像すると、別に嬉しいとかでなくて、しんみりしてしまうんですね。
その当時だからデパートでお買い物をしてる時って、なんか楽しいじゃないですか。
私も大人になった今、スーパーで買い物をしていてさえ楽しく感じる時が稀にあるし、Amazonとかで買い物する時もそこそこワクワクしながら買い物してます。だから親も多分きっとそれなりにワクワクしながら買い物してた筈なんですよ。
穿った見方をすれば子供がゲームをやっててくれれば手間がかからなくて良いなとか考える人もあるでしょうけど、それでも子供が喜ぶようにって考えていないわけがないんですよ。
 人間味を感じてしまいます。
果たして親以外に当時そこまでしてくれる人間はいなかったわけで、家族というものに対して尊さを感じる瞬間はあったわけで、 思い出すとファミコンにうつつを抜かしていて申し訳ないという気持ちにもなります。
そんな親ももう高齢になっていって、いずれ死んでしまうのだと思うと悲しくなってきます。 もうずっと元気なままで生きていてくれたらいいのになぁ。
「私が今感じているこれを忘れないようにしたいと思うのだが、これを表現できる言葉がない。」そんな感じです。
親が死ぬのが分かっているっていうのも、やるせないっすよ。 しかし、歴史を見れば、そんな事の繰り返しであって全く大した事ではないというのも分かるんですけどね。