正解ってなんすかね、目には見えないもんすかねぇ

いい商品は売れ続ける。売れ続けるから、生産され続ける。すると改善され続けて、さらにいい商品になる。素敵スパイラル状況。

そこで、しかし、と考える。

その昔、乾電池から、充電池のエネループへ切り替えました。それ以来乾電池を買う事はありませんでした。

パナソニック eneloop 充電器セット 単3形充電池 4本付き スタンダードモデル K-KJ53MCC40

エネループもまだ、1500回とかそこらの回数が下限のようです。最大どの程度まで使えるのかは出てないので分かりませんが。少なくとも1500回は繰り返し充電して使える良い物です。

ここまでは良いと思います。

では、充電して繰り返し使えるという事は、乾電池に比べて、売れる数が減っていくわけですよね。

(似た話として、電球の話がありますが。)

そこでそれを極端にして考えると、製品の性能が上がって一生使い続けても寿命が来ない程度の物になったとしたら、

一時期は大量に生産されて以降は、売れなくなる、作られなくなる、という事態が起きるかもしれない。

そうなってくると、生産する方法が忘れられていく、設備もなくなっていくか風化していく。

そのあとで製品の寿命が来ると。また粗悪な製品からリスタートを余儀無くされるかもしれない…。

これはゆゆ式(由々しき)問題ですぞ。

利用する側は、より良い性能(寿命も)の充電池を求めているので、そういうものを使いたい。

メーカーがそれに応える。そして上記のように夢のようなものが出来上がった時、油断してはならない、次世代のことを考えて、

技術を継承する儀式を残さなくてはならない。そのためのヒントが伊勢神宮であり、伊勢神宮のアレをするために、全ての市民はお布施をしなければならない。

そういうお布施なら納得できる。長寿命の電池ができた時点で資源の節約にもなるからと考えれば、人類の未来のための資源節約料金として考えれば、子孫の事まで考えていくってそういう事、近視眼的な行動ではなく。

近視眼的な行動をとらせないためには教育が重要になる。でも今理想には程遠い、退化している気配もなくはない。

ネットの言説をどこかで否定しきれない人々。自分と同世代にもいる。または全く興味のない人。

そういうことを考えても仕方ないんだけど、または独りよがりの考えなんだけど、

ただ、正解が見えているのに、そこへ向かわない気がして、モヤモヤする。