住所の文法と物語の文法
もちろん暇ネタなので安心です。
正解するカドから、 最初にカドが登場した時は世界的な影響力のある存在として、カドとザシュニナだと思う。 最後は、進藤さんと1対1で対決するという構図になる。
そこで今、以下の構図に似ていると思った。(昨日、映画ファウンダーを見て、住所を話すときに番地から話していたのを見ていたため想起された)
日本で使われる住所の文法は、先に必要条件*を示しながら順番に並べていくようなものだが、:広い範囲から順番に絞り込んでいく。 アメリカで使われる住所の文法は、その逆になっていて、指定の場所を含む範囲を順番に広げていく。 (どう表現するのが正しいのかはわからない、枠を主体に考えるのか、その特定の場所を主体として考えるのか、というのも合ってるかどうか分から無い。) (この単純な仕組みを利用して、ちょっとしたサピアウォーフ仮説っぽい体験ができそうだと思った。試しに、自分の住所をアメリカ式で考えていく練習をしたが、ちょっとよく分からなかった。もっとも練習が足りないだけかもしれない。)
カドが現れて、ワムが渡されて、ワールドワイドな物語を感じたのが最初。 人と人の交流と意思の交換からそれぞれの考えが変化していって、 最後は 人間 対 創造主という図ではあるが、それが、進藤 対 ザシュニナという形で描かれた。 ワイルドカードで決着した。
日本で使われる住所の文法に近くて似ていると思った。何か関係あるのだろうか無いのだろうか?
日本向けの物語を書く場合と、 アメリカ向けの物語を書く場合、 またはそれぞれに翻訳する場合に、この理論に基づいて書けば、受け入れられる確率が上がるか?
対になりそうな映画ですと、 この間、見てきた映画ファウンダーはレイ・クロックという人物から始まって、紆余曲折を経て、マクドナルド帝国が出来上がる。 スターウォーズは都会を目指す辺境の青年から始まって、デススターを破壊する。 しかし続くシリーズでは銀河レベルの対決は親子対決になっているからプライベートな戦いになっているけど、でもそれを日本の住所文法的っていうのは間違いだよね。(保留
創造主との対決は トランスフォーマーでも行われた。 4作目のエンディングではコンボイ司令は創造主に挑みにいった。 5作目ではその創造主と戦って勝った。
創造主といえば昨今人気のRe:CREATORSアニメではまた面白い仕組みが動いてるぞ!!!
——— *必要条件と十分条件はベン図を文章で説明してる物。<僕はベン図の方が理解早い。地図での例えを読んで混乱してしまった、地図を使うとノイズが多くなるからだと思う。地図を使うなら経緯度を使った方がいいかなという程度には思う。
THE PEOPLE vs GEOGE LUCAS
ピープルvsジョージルーカスを見たよ。
スターウォーズに入れ込んだマニア達がスターウォーズとジョージルーカスへの思いの丈を、
ここで取り上げられている主なファンは、年数を経て憎悪に取り憑かれてしまったファン達だったのだが、 それでもSWが大好きで、好きと嫌いがごちゃ混ぜになっている。
新しいSWを受け入れている人も紹介されたし、概ね悪い事は起きてないという事だと思ってるよ。 自分が愛する作品に対する向き合い方というか、人類共通の感情の内面に迫っているって事なのかな。 一言で言うと「可愛さ余って憎さ百倍」という諺を体現した映画とも言える。
私もそりゃ、長く生きたから、分かる気持ちもあるわけです。
ただ、特に共感を覚えた事が二つありました。 1。特別篇で改変されたハン・ソロと賞金稼ぎの緑の宇宙人、この2人の酒場での出来事。 オリジナルではハンが先に撃って相手を殺している。 特別篇では緑の宇宙人が先に撃っている、それにも関わらず歴戦の賞金稼ぎが 1メートルの距離で的を外している。 これは改悪だというファンの心情には特に共感してしまった。
2。ジャヴァがEP4に登場してきた時、ジャヴァは元々もは怖いキャラだったのに、ここではコミカルになっていた。 確かに、僕が昔子供の頃に見た時はジャヴァというキャラクターは怖かった、我が儘で残酷な性格だった。 EP4のコミカルさを先に見たら、確かに違う風に見えるかも。
なるほど去年見返した特別篇で感じた違和感の中にはこういうものもあったんだろうな。。。
映画に限らず、作品が発表された時からユーザーが受け取った時点で、それは作者の手を離れてユーザーに受け入れられたものとして別なバージョンの物になり、それがたくさんのユーザーに分散して発生する。だが、しかし作者と作品を受け止めたユーザー同士が共有できる物語としてオリジナルが尊重されていくのだろうかなどとして締めくくりたい。
いろいろあるけど、エンディングで、モスクワの替え歌が流れてきて面白かったです。
翻訳がないので意味は分からなかった、多分そんな面白いやつではない。
メモでありまとめであり、途中である。
ちょっと思いついて、好きなもののトップ10を決めよう。
念のため付記:順序をつけて記述しているが、順位は決めていない。
・考え方系
- ケース バイ ケース :
ベストな方法は常に異なる場合もあるのだ。ある視点で同じく分類できるとしても細部を視れば異なっているものだ。だから方法も異なる。 - ベストではないが、ベターな方法。 :
ベストとは言えないが、ベターな方法がある、ベストのみを尽くそうとすると効率が悪くて、実はベストじゃない、余分なところはベターでええんじゃ。よく言う所では力の抜き方を知っているベテランさん。そのようになれるのも良いですね。 - トレードオフ :
100ポイント所持している。どのステータスにどの程度割り振る? 割り振る権限が私にあれば・・・。 - 機会費用 :
義務教育終了後に、就職して仕事を覚えお金を稼ぐか、進学して授業料を支払うか、または進学して知識を得るか。20歳までに一万時間かけるとそのプロになれると言うが、就職しても進学してもそれを続けて専門家になる方法があるのだからどちらが良いとも言えない。進学した方が生涯賃金が増えるという話が事実だとしたらそれは歪に思えてくる。でも社会がそのように作用させているのだろうな。人間による選択ではなく、出来上がった環境がそう言うもので、サバイバルしているのだと。 - 思い込み :
人間は思い込んでしまうようにできている。正しかったり間違えていたり、case-by-caseだろう。
人は思い込むという事を理解していても、人は思い込みに捉われている時は無自覚なのだ、だからいつも謙虚でいよう。
自分が正しいと思う時、相手が間違っていると考えるのではない。 自分も相手も、常に正しく、常に間違っている。二つの矛盾する概念が常に同時に存在しているのだ。 - 失敗例 :
- システム理論 :
戒め:メモを書くためブラウザを開いたら、記事を見る羽目になって目的を忘れる現象
パターンを変えられない。おかげで寝れず、明日は失敗だろう。 こういう事を無くすために、追記していきたい。
「やりたい」と言っている時点でやらないと言っているようなものだと言われてしまいそうだが、 まぁそれは否定できないとしても、、、
やっぱり1人だといまいち。 ここで変な話になるが、自分だけが楽しくなる程度の事に興味が持てない。 と感じることが20代からずっと出てきて、力を持て余している。
追記:正解するカド、もうちょっとザシュニナの事を理解したいと思い。異方存在を人に見立てた場合。
アニメ:「正解するカド」から
前回のブログ:: 正解するカド - joint1’s blog
異方存在、ザシュニナは人類を異方へコンバートしようとしていた。
異方存在とは人類より遥かに高次元の存在である。
ここで、ザシュニナの事を理解したい、そのためにもっと簡素な図式に置き換えてみよう。
そもそも異方存在とは、人間より高次元の存在であり、人間の生きている宇宙を作った存在なのです。
だから低次元から高次元を理解するのが難しいように、または、二次元人が三次元人を理解できないように、
人間がザシュニナの事を理解するのはそもそも無理なのだろう。
それでも、もう少しザシュニナを理解したいと思い・・・。
そこでもしも人間がザシュニナの立場になったらどうか、
アインシュタインが提唱したらしい4次元時空に生きるわ我々が二次元世界に行って二次元人を四次元時空にコンバートする
(今は何次元になってるんかわからんが。)
ああ、あかん、これは Re:CREATORS になってまう。…酷いオチだ。
トランスフォーマー・ロストエイジで、オプティマス・プライムは CREATORS (創造主)に立ち向かっていく最後だった。
どうしてそうなったのかは初見では良く分からなかったが・・・
創造主との戦いは大変ですね。<大変の一言で片付けたぞ・・・。
でも今回の場合は GHOST IN THE SHELL の方がマッチするかもね、
電子の海に生まれて人形使いと名付けられた”それ”と対話する人類・・・。でも人形使いの方が神々しいのでなんか違う。
というか単純にすると、くだらない話になってしまって辛いのでやめる。
二次元に生まれた奇跡の存在を、自分の欲求の赴くままに、自分と同じ次元に顕現させようとする・・・。
方言とかスラングとか
以下二つの事柄がなんか繋がりそうな感じが一瞬あって、面白みがある。
「魔剤」という語を見かけて、何だか分からないのでググりました。
解説がありました。どうやらネットスラングだったようです。
新しい言葉の登場とかを見ていて、ふと思い出したのが最近見かけた以下のニュース。
機械が新しい言葉を使いだしたという物。
独自言語を編み出して会話を始めたFacebookのAIが「停止」される | BUZZAP!(バザップ!)
ここでいうチャットボットが新しい言葉を作り出して、人間に停止させられたようだが、
どこかのコミュニティで人間達が新しい言葉が作り出されていても、人間だから停止させられない。させられる人がいない。
かくして、今日もまたどこかで独自言語が生み出されては、部外者は疎外されていくのだった。
意義も用途も違うから、元々何の関係もないんだけど、上手く繋がったらおもしろいかなと思いましたが。
他所のローカルで使われる用語か・・・
響けユーフォニアム2
ネタバレはします!
TVアニメ、響けユーフォニアム2を見て、
“2"が付く前の時も見ていて、青春っぽい独特のタッチのアニメとしての表現が面白いのはいいんだけど。
今、第3話まで見て、
吹奏楽部に復帰したいと願い出る2年生の子がいて、その子は先輩に復帰を許可してもらいたいけど、断られてしまうの、なぜか。
何故先輩に許可をもらう必要があるのかというと過去の出来事が関わって拘りが出来てるから、
主人公はなんで断られるのかがちょっと気になってたんだけど、たまたま色んな人の話や行動を見て聞いてだんだん同情的になってきて、
自分から先輩に話を伺うと言い出してしまう、そして、合宿先でとうとう聞いてしまう。
吹奏楽部をやめたその子が入ると、部に1人いるオーボエ担当の子(鎧塚先輩)が辛くなるらしい、吐き気を催すくらいの因縁、トラウマがある。
でもやめた方の子は、オーボエの子を以前のままの友達だと思ってて、そんなことになってる事を全く知らないの。
それを別の仲のいい友達は知っている、しかも同じ中学校だったし、どっちも気にかけてるから、何も言わず黙っているの、
あすか先輩は、そんなこと面と向かって言えないけど、コンクールのことを考えると、オーボエの方が大事とも言うの。
もっと要約: 同じ中学校で同じ吹奏楽部だった同級生同士が、高校でも吹奏楽部で頑張ってたのだけど、1年目に3年生と折り合いが悪くて衝突して みんな揃って吹奏楽部をやめてしまうという事が起きていた。 その時やめた子とやめなかった子と、いて、
主人公がその謎に迫っていくのがミステリっぽい進行で、それはそれでみる方に緊張感が保たれるようで良いですね。
第13話まで見て、
部のみんなの悲願である全国での金賞
この全国コンクールで金賞をとらせるかどうか、という物語の動機について想う。
シリーズ構成や脚本の人らが手間暇を費やして書いたものがつまらないわけがない。
ここで全国コンクールの結果が金であろうが、たとえ賞がもらえなくても面白くて良い作品売れる作品が作られるように思う。
さて、であれば、今回の結果が銅賞であった事には、物語としてどんな意味があるのだろうか。
12話、13話と見ても、それは銅賞を取った世界でのお話になっている。
そこで語られていることが、銅賞を与えられた理由だろうか?
ただ
フィクションの持つ構造的な特性だろうか、
最後まで見てもらうための緊張感を維持する技法
見終わった後に抱かれる感情などをコントロールする
作品として支持を得られるための、共感を得られるものとして、このシナリオがベストだと選択された。
金賞であれと思いつつ見守る視聴者も居るだろう、
全国初参加で金賞などリアリティがないと思う視聴者も居るだろう。
ここでのコンクールは作中を貫くインシデントである。
これを通して登場人物たちが葛藤し周囲との関係を気づいていく。視聴者も理解しやすい。
金賞は登場人物たちにとって大きな目的でストーリーは進んでいくのかといえば違うのだ。
銅賞ではあり、一見して目的は達成されずという見方もできるが、
登場人物たちの目的は達成されている。
あすか先輩は審査員の進藤正和からリアクションを受け取れた事などなど、
このような形で物語の目的は達成されている。
その瞬間瞬間毎にお話の中に没入して、金賞とれたらいいなと思ったり、同時に金賞はやり過ぎだろうと思って見ていたりする。そう言う事があってキャラクターに共感しながら視聴できる事が、これはこれで素敵な事だなぁと思っておく。
そして、それらのストーリーがどのように視聴者の心に作用しているのかを想い耽るのもまた一興。